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亡くなられた芸術家の作品を鑑賞すること。

このごろのブログで申しております、岡本太郎さんの
壁画作品『明日の神話』についての書籍
『明日の神話 1967-2023 岡本太郎はなにをのこしたのか』
を読みまして存じたことは、太郎さんは、
平成8年(1996年)1月7日に亡くなられた。
つまり、本日が、太郎さんのご命日の日だ。
ならば、本日もまた、やはり
岡本太郎さんのことをブログで申しあげたいです。

先日、Eテレで放映されました『ワルイコあつまれ』での
「子ども記者会見」のコーナーでは、
アーティスト・村上隆さんがご出演なされまして、
そのなかでは、村上さんは
「芸術家の評価は、その芸術家が死んだ後に決まる。」
とのようにおっしゃっていた。
村上さんのおっしゃるこのことばより考えてみるともすれば、
太郎が亡くなってから28年が経つけれども、太郎の作品は
今もなお大人気で、かつ、さらに人気が
高まっているかのごとくに感じられて、すごい。

また、書籍『明日の神話 1967-2023』を読んで思ったことはね、
美術作品を「制作」することだけでなく
美術作品を「保存」や「維持」してゆくことも、
とても大変だ、ということなのでして。
壁画作品『明日の神話』だけではなくて、たとえば
大阪府吹田市の万博記念公園で立つ『太陽の塔』は、
平成30年に耐震補強及び塔内部の再生が行われた、とのことだし、
はたまた、博物館法第二条では
博物館資料の「保管」についても定義されておりますが、
つまり、そのような保管や保存や維持というのも
専門的な知識及び専門的な施設が無ければ実現し得ないような、
とてもむつかしいことなのだろうと思われる。
それは作品の経年劣化だけじゃあなくって、作品が
災害や戦争によっても消失されることもあるともすれば、
芸術とは、もしくは、あらゆる文化とは
平和及び安全の象徴のようだとも考えられる。

そしてまた別の書籍として、先日読み終えました
横尾忠則さんの著書『老いと創造 朦朧モーロー人生相談』では、
素敵な人生相談のお答えをたくさん読むことができたのですが。
この本のなかで横尾さんが、「終活」について
【画家の終活は悲劇です。】
と言われていたのがとても印象的でした。

遺族は、僕の死後十カ月以内にすべての作品をなんとかして処理する必要があります。地元の美術館に作品を寄贈するといっても、どこの美術館も収蔵庫がいっぱいという理由で、なかなかもらってくれないというのが現状です。

横尾忠則さん著『老いと創造 朦朧人生相談』講談社現代新書_43頁

自分の作品でありながら、その作品は課税の対象になります。作品の価値が高ければ、それだけ税金も高くなります。かつて、日本画家の奥村おくむら土牛とぎゅうさんの死後、ご遺族は作品をたくさん焼却しました。(‥‥)値段に見合う税金がかかると、ご遺族はとてもじゃないが払えない。だから焼却して、無いことにするしかなかったのです。

同著_43-44頁

はっきり言って、画家の終活は悲劇です。どのようにすればいいのか、僕自身も分かりません。お手上げ状態、というのが画家とその家族に与えられた終活です。

同著_44頁

つまり、芸術作品とは
平和や安全のことだけでなくて、
相続や税金及び社会の制度とも深く関わっている。

ぼく個人としても、令和2年11月父が亡くなり
そのさいには相続の手続きも行ったのですが、
サラリーマンだった父の相続でも結構大変だったのに、
ひとつの作品に対しても多大な金銭価値のつく
芸術家の相続の手続きとはどのようなものか?!
なんて、ぼくには想像もできない。

たとえば、岡本太郎の作品だけではなくって、
村上隆さんのおっしゃっていた
「芸術家の評価は、その芸術家が死んだ後に決まる。」
のごとく、亡くなられた芸術家の作品を
これからもなお、鑑賞するということも
当たり前のことでは無いのだし、つまり、
その鑑賞とは、太郎の壁画作品『明日の神話』のように
たくさんの方々の尽力によって、
なされていることなのだろうと思える。

『明日の神話』と双璧をなす作品とも言われる
『太陽の塔』もまた、昭和45年の大阪万博以後には
その他の万博の施設と同様撤去される計画だったのが、
『太陽の塔』だけはそのまま撤去もされず、
今もなおそこで立ち続けている、
ってゆうのも、運命的で、すごい!!

『明日の神話』の骸骨は、そして
『太陽の塔』の顔たちは、
その目で何を見ているんだろうか?

令和6年1月7日

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