![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/117014724/rectangle_large_type_2_bd76277b946162b4405f025f9a4f5d59.jpeg?width=800)
【心】の【恥】じらいが【耳】に現れる。
前々回及び前回noteでは、表現と
恥ずかしさの関係性みたいなことを書きながら、
恥は捨てないで、しかし、同時に、
恥を晒すようにして、
このブログを書いてゆくほかない、
というふうにも思ったのですが。
この【恥】という漢字を見ていたら、
どうして【恥】の字は
【耳】と【心】でできているんだろう?
ってゆうのが気になってきてしまったの。
なので、こういうときにはね、
いつものごとく、白川静先生の
『常用字解[第二版]』をひもといてまいりたい〜。
白川先生によれば、やはり、【恥】とは
【耳】と【心】と組み合わせた形である、
とのことでして。そして、たとえば、
心に恥じることがあったときには、
まず耳が赤くなり、そのはじらいが
耳に現れる、ということが
【恥】という漢字の由来なのらしい。
白川先生の『常用字解』で漢字を調べると、いつも
祈りや神や生死や祝詞に関する由来が多いのですが、
でも、この【恥】に関しては
「心の恥じらいが耳に現れる」というのは、
至極シンプルと申しますか、もっと申せば、
なんだか理由が可愛い。。。
ここでさらに気になってくるのはね、
この【恥】の漢字にも使われている
【耳】という字のことだなあ。
って思ったのでもうひとつ、【耳】も
白川先生の『常用字解』で調べてみました。
すると、【耳】とは、、
【耳】 ジ/みみ
象形。耳の形。説文十二上に「聽くことを主るものなり」という。聽(聴)は耳と目と心とを要素とする字で、耳と目が人の感覚のうちで最も重要なものである。それで聖(ひじり)とは、耳をそばだててつま先で立つ人がさい(神への祈りの文である祝詞を入れる器の形)の前にいる形で、祝詞を唱えて神に祈り、神の声、神のお告げを聞くことができる人をいう。神のお告げをかしこく理解することを聡(聰)という。
至極シンプルに、つまりは、
「耳の形」によるものだった。
はたまた、たとえば、この
【耳】の字形が含まれている
【聴】や【聖】や【聡】というこの漢字とは、
人間の感覚及び神のお告げに関する字なのだなあ、
とも感じました。
【耳】の項目の中でもご説明される
「目」もそうなのだとぞんじますが、
「耳」もまた、やっぱり、
大切な人間の身体の器官だ。
つまりはさ、「耳」によって
声(お告げ)を聞き、それらの声を
かしこく理解できるようであれたい。
なおかつ、「耳」とは
人の「心」さえも表れているものである、
なのだともすれば、これを拡大解釈すれば
「表現」=「耳」、
とも言えるやもしらないか。
聽くことを主るものなり!
令和5年9月24日
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?