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バランスと三番線のホームから手を振ること。

このごろはね、先日リリースなされました
ASIAN KUNG-FU GENERATIONのアルバム
『サーフ ブンガク カマクラ(完全版)』をね、
タワレコオンラインでフラゲで購入してから、
ずっと、車の中で聴いているし、なんならば
今、このブログを書いているあいだも聴いているよ。

「江ノ電」の各駅がモチーフとされているこのアルバムでは、
初回生産限定盤には曲の舞台の地域を紹介する
「サーフ ブンガク カマクラ お散歩MAP」及び、
Gotchさんによる「楽曲解説」が同梱されていて。
それらを読みながら、また、
各メディアでのインタビューも読みながら、なおかつ、
先日のインスタライブも翌日までのアーカイブで観ながら、
一週間、アジカンづくしで過ごしている。

最高だ!

十五年前リリースの『サーフ ブンガク カマクラ』から、
当時は収録されていなかった五駅分の曲が、
まんをじして追加なされまして、はたまた、
当時の十曲も新たにレコーディングされての
まさに「完全版」として、このアルバムは
最高だ!!!

以前のブログではね、すでに
シングルのカップリングとしてリリースされていた
『日坂ダウンヒル』及び、
『柳小路パラレルユニバース』を聴きながら、
この「完全版」の発売を心待ちにしていたのが、
それから約半年が経って、今、こうして
アルバムを手にして曲を聴いているのは、
感無量だとしか言うほかないぜ。

今から十五年前、
『サーフ ブンガク カマクラ』リリースのころには、
ぼくは働いていなくってお金もなくって、このCDも
購入できていなかったのですが、でも、その後、
ツタヤのレンタルで聴きながら、そして
考えてみればアジカンのどのアルバムよりも、
一番、折に触れて聴いているとも思う。

この当時、『サーフ』を聴いて想っていたのは、
ぼくは同じ年にリリースされておりましたアルバム
『ワールド ワールド ワールド』が大好きで、
そして、その直後リリースのミニアルバム
『未だ見ぬ明日に』も好きだったのですが、
でも、なんだか、この二つの作品のどの収録曲も
重たさがある、と申しますか、いや、
重たさがすべて悪いとは思わないけれど、たとえば、
アジカン好きの友人には、その感想として
「歌詞の文字数が多いよねー。」
みたいなことは話していたのですが。
でも、それからリリースなされました『サーフ』では、
これまでの重たさも無く、また、たとえば
歌詞の文字数も多くないような曲ばかりで。

そんな曲々を聴きながら、これはちょっと
上から目線的な発言ともぞんじますが、
そのような、たとえば、これ以上進めば
重苦しいだけの場所へ行き着きそうなところを、
完全に逆の方向へと振り切るかのごとく、けれども、
『ワールド ワールド ワールド』で歌われる
「世界」というモチーフとも繋がるかのような
『サーフ ブンガク カマクラ』を聴きながら、
つまり、アジカンのバランス感覚って
あまりにもすごいなあ! と感じたんだった。

そう考えてみれば、たとえば、
ぼくのこの日々のブログにおいても、その
スケール感はまったくもって小さいんだけれども、
でも、このまま行ったらやばいやもしらない、
というときには、たとえば、あえて逆の方向へと
シフトしてゆくかのような、そんな
バランスを取ろうとするときがあって。
それはつまり、アジカンの
『サーフ ブンガク カマクラ』より、
学んだのかもしれない、とかも感じている。

そして、十五年の時が経ちリリースなされました
『サーフ ブンガク カマクラ(完全版)』をね、
初めて再生したときには、一曲目の
『藤沢ルーザー(2023 ver.)』を聴いているとき、
その理由はよくわからないけど、
思わず、泣きそうになってしまったんだ。

それは、でも、もしかしたら
君が遠くで、ぼくを
呼んだからやもしらない。。。

君が遠くで僕を呼んだんだ そうだ

藤沢ルーザー/ASIAN KUNG-FU GENERATION

その「君」とは、
ほかの誰でもなくって、つまり、
あのときの「ぼく」であり、かつ、
これからのいつぞやの「ぼく」でもある、
のかもしれないな。

ならば、今のぼくだっても
あのときのぼくへ、そして、
これからのいつぞやのぼくへ、
ここの駅の三番線のホームから、
今、手を振るよ♪

令和5年7月9日

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