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言いよどみ、絶句すること。

さくじつのブログでは、先日、映画館にて
監督・是枝裕和さん × 脚本・坂元裕二さんの映画
『怪物』を鑑賞したこと、そして、でも、
その感想みたいなことはうまく書けない、
というようなことをしるしたのですが。

それは、おそらく、
内容が複雑でもあるし、また、
よくわからなかった箇所もあるし、なので、
すぐには答えを出せない、というか、
安易には何かを言えない、というか、
って考えながら思い出していたのはね、
武富健治さんのマンガ『鈴木先生』のある場面のことでして。

マンガ『鈴木先生』とは、
中学校の国語の教師・鈴木先生が、
担任を受け持つクラス、及び、学校の問題を
解決してゆく、のようなストーリーなのですが。
今回ぼくが思い出していた場面は、文化祭にて
鈴木先生のクラスが演劇を行うにあたって、
鈴木先生が演劇の指導をなされるのですが。
鈴木先生がこの指導で言われるのは、
生徒たちが行おうとする舞台を鑑賞した人々が、
もしも、作品のテーマをゆるく消費したかのような、
つまり、ちょっとうまくとりつくろうとするかのような、
【そんなのっぺりした感想など
 絶対に言わせるな! 言わせたら負けだと思え!】
とのようにおっしゃっていて。

そしてさらに、鈴木先生の言われるのは、
もしも、この舞台が、たとえば
上記のような感想を言わせないような、つまり、
【寓話として象徴的に… かつ同時に
 生々しく描き切っている!】
というところから、さらに、そこでとどまらずに、
【「観客本人がとても他人事に出来ないような
 生々しい自分事の問題」に…
 その象徴が つながっていることを
 実感としてがっつりつきつけるんだ!】
ということに成功していれば、
【観客は 調子のいい「感想」など
 言いよどみ… しばし 絶句する!!】、そして、
【その絶句がかもし出す 会場全体のはりつめた空気が
 盛大な拍手や喝采かっさいよりも はっきりと!
 その上演の成功を 教えてくれるだろう】
とのようにも言われていて。
(【】内の引用は全て、武富健治さん著作『鈴木先生』
 第10巻「@神の娘 その12…鈴木ほえる!」より。)

今、また、あらためて、
この場面のことを思い出しながら考えるのは、
ぼくのブログでも、ときに、
なにかの感想を書くのはむつかしい、とか、
感想が苦手だなあ、って、ぼくが書くのは、
たぶん、『鈴木先生』で読んだこの場面のことが
関係しているやもしらない、と申しますか。
つまり、そんな、
のっぺりとしたような感想を言わずに、逆に、
言いよどみ、絶句することのほうが重要だ、
って思うようになったのかもしれない。

でもさ、たとえば、マンガ『鈴木先生』のこの回でも
鈴木先生が言及されているけれども、学校の宿題等で
「読書感想文」を書こうとするときには、
言いよどんだり、もしくは、
絶句したりしてしまうのは、
よくないことになっている、と申しますか。
さらに言えば、こういうブログやSNS等でも、
絶句すれば、それは
何も言わないのと同じ、とも言えるから、
なにかを言おうとするならば、たとえば、
調子のよい感想を言おうともしてしまう。

それは、ぼくだっても
ぜったいそうなんだけれども。

でも、ならば、ぼくは、
言いよどみ、絶句することを
恐れたくない、というか。なおかつ、
もしも感想を言おうとするときには、
言いよどみ、かつ、絶句したのちに
これだけは言えそうかなあ、みたいなことを
言えるようであれたら。

ってゆうそういうようなことをね、
今回、映画『怪物』を鑑賞して想いました。

さくじつは、ブログ書いたあと、
出かけるさいの車の中では、Spotifyで
坂本龍一さんの「サウンドトラック『怪物』」を
聴いておりました。

『hibari』、好きだなあー。

令和5年7月4日


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