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交差点に差し掛かったとき。

ぼくは、2005年ごろ
以前書いていたブログを始めまして、そして、
途中の数年間書いていなかった時期はありながらも、
そのブログを続けながら、2016年ごろ
ブログを「note」へと引っ越してきました。

つまりはさ、考えてみれば
18年ぐらいブログ書いているけれども、
そのあいだ、たくさんの方の文章やことばを
読んできたとも思うし、でも、たとえば、
この方の文章、好きだなあ! と思う方が
ブログやSNSを更新されなくなられたり、また、
ブログのサイトやアカウントを削除なさったり、という、
出合いや別れもたくさんあったともぞんじますが、
そんなこんなを経て、今、ぼくは、
このnoteを書いている。

ネットの中では、そういうような
「出合い」や「別れ」というのは
つきものだとも思うのですが、
それはでも、ネットだけでなくって、
日常生活上でも起こることだろうなあ、
ってえのは思っているけれども。

そんな「出合い」や「別れ」とは、たとえば、
「交差点」に差し掛かったときに起こる、
と、考えているの。つまりはさ、
人生を「道路」にたとえながら、その道路を
じぶん自身の行きたい方向へと運転しながら、
ある交差点で曲がったときにね、
同じ方向へと、なおかつ、
同じぐらいのスピードで進んでいる人と出くわす、
という状態が「出合い」で、そしてまた、
べつのある交差点に差し掛かったときに、
ぼくはまっすぐ進み、
あなたは曲がる、というときには
「別れ」となる。

家族や学校や会社等の組織のメンバーともなれば、
同じ車(人数が多ければ、大型バスとか?)に乗っている、
というイメージになると思うけれど、
その車へと乗り込んだり、
その車から降りたり、というような
「出合い」や「別れ」もあるだろう。
そういうような場合もね、拡大解釈すれば
「交差点」と考えられるやもしらない。

この交差点では、赤信号で停まって
ちょっとすれちがっただけみたいな、
ほんのすこしのあいだの出合いもあれば、
それから、けっこう長いあいだ
一緒に進み続けるような出合いもあるだろう。

でも、やっぱり、いつか、
どこかの交差点では、
べつべつの道を進むことになるだろう。。。

このような「交差点」のことで思い出すのはね、
現在ぼくは41歳なんだけれども、
今から約20年前の成人式の直後、
ひさしぶりに会った中学のときのクラスメイトたちみんなで
訪れたカラオケなのでして。
そのカラオケではさ、ぼくは
Mr.Childrenの『CROSS ROAD』を歌って、
歌い終わったあとには、みんなから、
おぉー! って、拍手をもらえたことなんだなあ。

そのときはね、とくになんにも考えず
この歌を選曲したけれども、
あとになってあらためて考えてみれば、
「成人式」という人生の中でもとくに大きな交差点の日に
『CROSS ROAD』つまり「交差点」の歌を歌い、
そして、なおかつ、
『CROSS ROAD』とは1993年、つまり、
ぼくらが小学6年生のときにリリースされた曲だから、
ちがう小学校から入学してきた中学生たちにとっては、
まさに、出合いの歌のようでもあると思うの。

現在、この成人式のころから約20年が経ち、
それ以来会っていないクラスメイトたちも、
今もなお、どこかの場所で
元気に暮らしているだろう、みたいなことも
あらためて想い願いつつ、みんなそれぞれ、
今日もまた、どこかの交差点では
手にしたぬくもりをそれぞれに抱きしめて、
新たなる道を行っているはずさ。

つかの間の悲しみは
やがて輝く未来へと続く

ゴー ウェイ オー イエス

令和5年6月15日


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