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何も考えないでいられる時間はいまもない。

先日6月6日、創刊26周年をむかえられました
WEBサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」では、この日より
宮沢りえさんと糸井重里さんとの対談連載コンテンツ
「はかないことも、諦めることも、とてもたのしい。」
がスタートしていて、対談、おもしろい!

「ほぼ日」での宮沢りえさんと糸井さんの対談は、
10年前、雑誌『AERA』×「ほぼ日」共同企画
「40歳の特集」として、当時41歳のりえさんと
糸井さんがお話しされていて、この対談コンテンツ
現在42歳のぼくが40歳に成ったころ、
あらためて読み直したりもしていたのですが。
今また考えてみるとね、たとえば
ぼくの兄は昭和48年(1973年)10月生まれで、
元メジャーリーガーのイチローさんと生年月日が
一日ちがいだということにあるとき気がついて、
今回の連載を読みながらさらに調べてみれば
りえさんはこの年の4月生まれとのことでして、
兄と同学年だったのだなあと存じました。

なので、あらためて
兄、そして、イチローさんや
宮沢りえさんが50代になられた現在の時代、
ぼくら世代は40代となり、そして
ぼくの母はね、糸井さんと同学年
(生年月日は約1か月ちがい)なのですが、
ここで母の(そして、糸井さんの)年齢をしるすのは
母が顔をしかめそうなので自重いたしますが、つまり、
誰しもが順繰りで年齢を重ねてゆく。
というそんなことを思いながら、
今回のこの対談を読んでおります。

今日は連載の「第3回」で、
今日もまたおもしろくって、そして
なんだか考えさせられるようにも感じました。

とくに、その箇所を引用いたしますと、、

糸井 ‥‥こうして聞いていると、りえちゃんは、
   昔の自分がどう考えてたかということを
   よく覚えていますね。

宮沢 あぁー、たしかに。

糸井 それは、
   覚えてる大人と覚えてない大人がいると思う。
   自分だって子どもだったのに、
   そんなことなかったみたいに
   子どもにお説教する人もいますもんね。
   あなたの場合は、全部、どうやら覚えてますね。

宮沢 そうかもしれません。
   小学校のとき、自分がハーフだということに
   コンプレックスがあったんです。

   (‥‥中略‥‥)

宮沢 人と話さない時間も
   何か考えずにはいられなかったから、
   頭のなかで自分と会話をして
   過ごすこともありました。
   それはずっと続いているところがあって、
   何も考えないでいられる時間というのは、
   わたし、いまもないんです。
   糸井さんはありますか。

糸井 ぼくも、ないです。

宮沢 あ、糸井さんも。

糸井 こないだも、ちょうどその質問をされたんです。
   「糸井さんは、何も考えないでいる時間、
   ないんですか」って。
   それで、あるかなって考えたら‥‥ないね。

宮沢 ないんですよ。

ほぼ日刊イトイ新聞「はかないことも、諦めることも、とてもたのしい。」第3回より

このお話しの場面を読みながら、
お二人と比べるのはおこがましいのですが、
そう言われてみれば、ぼく自身も
「全部」とは申さないけど、たとえば
あのときにどう考えていたか、というのは、
記憶ちがいもあるやもしれないけどけっこう憶えていて、
そして、また、りえさんや糸井さんのおっしゃるような
「何も考えないでいられる時間」って、
いまもなお、無いなあと思える。

このあとのところでりえさんのおっしゃる
【次から次へと考えや言葉がおそってくるんですよね。
 あふれてくる。】
のこともね、どことなくわかる気がするの。
でも、ここで言われているような
「何も考えないでいられる時間」という表現としての
「考える」とは、どちらかと言えば
よいことばかりじゃあないとも感じられる。
それは、つまり、
よくも、わるくも、と申しますか。
ぼく自身としては、そういうふうに考えることって
いまでもなお、悩みごとばっかりで
考えれば考えるほど、解決はおろか
悩みが深まってゆく的な?!

さらに本日の対談後半では、糸井さんが、、

糸井 ぼく、いま、りえちゃんが言ってたことと
   自分を重ねながら聞いていたんだけど、
   ちっちゃいときに
   四六時中何かを考えていた子の多くは、
   明るいほうに行くんです。

宮沢 ああー。

糸井 なぜなら、
   答えを暗いほうに持っていったら生きにくい
   ということが、
   どこかのタイミングでわかるから。
   それは、自分もそうでした。

ほぼ日刊イトイ新聞「はかないことも、諦めることも、とてもたのしい。」第3回より

【ちっちゃいときに
 四六時中何かを考えていた子の多くは、
 明るいほうに行くんです。】
とおっしゃるのですが、糸井さんは
「多く」と言われているけれど、つまり、
ぼく自身は、そういうような
「明るいほう」じゃあない気がするなあ〜。
ともすれば、ぼくもまた
これからのいつぞやのタイミングで、
【答えを暗いほうに持っていったら生きにくい】
ということがわかればよいのに。

はたまた、糸井さんは
そのようなりえさんに対して、
【だけど一方で、14、15歳のときのりえちゃんは、
 世間からは
「ひたすら明るくて屈託のない子」に
 見えていたと思う。】
ともおっしゃっておられて。。

このごろのぼくのブログではね、小室哲哉さんの音楽作品集
『TETSUYA KOMURO ARCHIVES BOX』を聴きながら、
この作品集の中では、宮沢りえさんのデビューシングル
『ドリーム ラッシュ』が好きなんだなあ〜。

この曲について、封入ブックレットの解説では
【小室が、作家のみならずサウンド・プロデューサーとして
トータルでブランディングを手がけはじめた作品。】
と記されていて、たしかに、完全に
のちに呼ばれる「小室サウンド」だと感じます。
はたまた、この曲の歌詞は
渡辺美里さんの『My Revolution』や
TM NETWORKの『NERVOUS』を手がけられた
川村真澄さんとのことでして、
詞もまた、とっても素晴らしい。。。

今だけ 感じられる せつなさ 確かめようよ♪

令和6年6月8日


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