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誰にも言わない。

世の中では、日々、
あらゆることが起きていて、
それらのあらゆる出来事のことを、
ニュースで見聞きしていることもあれば、
じぶん自身で体験していることもあれば、
起きていることすら知らないこともあるだろう。

いろいろな方々のnoteを読みながら、たとえば、
ある方はこのことを記されていて、
またある方はこのことを記されていて、
またまたある方はこのことを記されていて、
という内容の記事を読むときには、逆を言えば
ある方はこのことは記されていなくって、
またある方はこのことは記されていなくって、
またまたある方はこのことは記されていなくって、
というような、つまり、その方にとって
このことを書くこと、及び、
このことは書かないこと、という、その方の
ポリシーのようなものを感じることもできる。

ぼくだってもね、日々、
こうしてブログを書いていて。
そのブログの内容としては、
このことを書く、というときには
このことは書けない、とか、
このことは知らない、とか、
このことは起きていることすら知らない、とか、
ってゆうような、ぼく自身の
興味とか性格とか価値観とか、
そして、ポリシーのようなものが
ぼくの意図的に、かつ、
ぼくも意図していないような、つまり
ぼくの無意識的にも浮き出ているんだろう、
とも思われる。

何かを書こうとするときには、
何を書くか? を考えるよりも、
何を書かないか? を考えることのほうが
重要である、ってゆうのを
聞いたことがあるけれども。
そのことで言うんならば、ぼくの場合にも、
何を書かないか? を考えているとも思う。
つまりはさ、たとえばこのごろの出来事で言えば、
「原発の処理水の海洋放出」についても、
「ハワイ・マウイ島の山火事」についても、
「音楽イベントにおける性被害」についても、
「インドの月探査機月面着陸成功」についても、
「ガソリン価格の高騰」についても、
「高校野球」についても、はたまた
その他のことについても、
ブログで書いていないこともあれば、かたや、
ブログで書いている出来事もある。

なおかつ、ぼく自身に起きた
うれしいこと、たのしいこと、かなしいこと、
つらいこと、いやなこと、いやだったこと、
思うこと、考えること、感じること、
達成できたこと、卑怯だったこと、傷つけたこと、
やりたいこと、欲望のこと、などなどをね、
ブログで書くこともあれば、
ブログで書かないこともある。
ブログで書かないことでも、
誰かには言うこともあれば、
誰にも言わないこともある。

とくに、ぼく自身の中で
あまりにも重要なことはなおさら、
誰にも言わない。

このことを想いながら、
宇多田ヒカルさんの
『誰にも言わない』を聴く。。。

一人で生きるより 永遠とわに傷つきたい

令和5年8月24日

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