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サツキとメイのお母さんとお父さんのことば。

昨日のブログよりさらにひきつづきまして、
宮﨑駿さん監督映画作品集より、今回は
『となりのトトロ』をあらためて観て、もうすこしだけ
感想のようなものを申したいとぞんじます。

『トトロ』の中で好きなシーン及び好きなセリフは、
たくさんございまして、って言うよりかは
全部が大好き! とも思ったりしながら、
以前観たときに素晴らしいなあと感じたのが、映画の終盤、
病院で入院するサツキとメイのお母さんが
お見舞いに来ているお父さんへ話していた
【あの子たち、見かけよりずっと無理してきたと思うの。
 サツキなんか聞き分けがいいから、なおのことかわいそう。】
【退院したら、今度はあの子たちに
 うんとワガママをさせてあげるつもりよ。】
というセリフなのでして。とくに、この
【聞き分けがいいから、なおのことかわいそう。】
と言われるのは、つまり
「聞き分けがいい」は良いことじゃあない。

「聞き分けがいい」って、どんなに大変なことでも
ちゃんと大人の話しを聞き、そして、分かり
行動できる、というような、いわゆる
規範となるべくものであったとしても、
やはり、子供は子供なのだからこそ
そういう状態がずっと続けば、
歪みも生じる、と申しますか。
つまりはさ、「聞き分けがいい」とは
大人側にとって都合がいい状態である、
というふうにも考えられるやもしらない。

たとえば、
「問題児」とも言えるような子供はその名称のごとく
問題があると言えるとしても、逆に
「聞き分けがいい」とされる子供たちは、
問題が表面化していないだけで、心の奥底では
とても傷ついているのかもしれない。
でも、その傷を、元来の
「聞き分けのよさ」の性質によって、
表現することはできにくい。

『となりのトトロ』のこの場面を観ながら、
なんだか、そんなことを思ったんだった。

そういえば、物語の序盤にて、
サツキとメイとお父さんの三人で
お母さんのお見舞いへと訪れたときには、
お母さんが、妹のメイではなくって
姉のサツキの髪をブラシでといてあげて、
そのシーンもまた、終盤で語られる
【サツキなんか聞き分けがいいから、なおのことかわいそう。】
と関連していそうだなあ〜。

そして、お母さんのセリフだけでなく
お父さんのことばも好きなものがたくさんあって。
とくにはさ、メイが初めてトトロと出合ったとき
お父さんとサツキに対して、メイは
【ほんとにトトロいたんだもん! うそじゃないもん。】
と話したときには、お父さんが
【うん。お父さんもサツキも
 メイがうそつきだなんて思っていないよ。】
と話すのが素敵だなあー。

あとはさ、昨日のブログでも記したのですが
バス停でサツキとメイがトトロと出合ったとき、
トトロは、サツキの渡した父の傘を返さず
持っていってしまったけれども。
映画の中では描かれていないけど、
たぶん、お父さんはこの
傘の顛末をサツキたちより聞かされたとしても、
娘たちのその話しを信じるだろうし、また、それは
トトロにとってよいことだったかもしれないね!
みたいなふうにも言ってくれるやもしらない。
つまり、傘を無くしてしまったことを
父は怒らないだろう。

そんな、サツキとメイの
お父さんとお母さん、よいなあ、
って、映画を観ながら思っておりました〜。

令和6年7月28日