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ブックレビュー「理系思考 エンジニアだからできること」

(通常ブックレビューは私のプライベートnoteであるKeith Kakehashi名義に掲載していますが、本レビューはHIRAKUコンサルタンシーサービシズの業務にも関連しますので重複して掲載しました。)

まだ製造業の会社に勤めていた頃に、「なぜ新入社員の8割が理系出身者なのに、役員クラスにまで昇進する人はその内の1割にも満たないのだろうか」という事象を検証し、どうすれば理系社員を経営リーダーとして育成できるのかという課題とソリューションを提案したことがある。

社長(文系出身者)を含めて何度か説明したが、業績が芳しくない中での時間軸が長い人材育成の話であること、「本人達もそんなキャリアを望んでいない」とか「理系社員は仕方ない」という諦めが先に来てしまって、社内でムーブメントを起こすことには失敗してしまった。

本書はいわゆる理系出身者が、つぶしのきかないサラリーマンになるのでは無く、キャリア形成を積極的に見直して、自らの市場価値を磨き、理系ならではの強みを活かしてエンジニアを卒業する選択肢を説いている。

実は元々本書を手に取ったのは冒頭の私自身の過去の問題意識と本書の趣旨が一致していたからでは無く、著者の大滝令嗣さんと今年の1月から株式会社シフト・ビジョンの一員として深く関わることになったからだ。大滝さんは同社の会長である。

以前から大滝さんとは何度か擦れ違う機会はあったが、深くお話をすることが無かったので、少しでも大滝さんの思考を知ってみようと思ったのと、株式会社シフト・ビジョンで書籍出版の計画もあるので、大滝さんの著作を読むことはその際にベネフィットがあるだろう、と考えたからだ。そこで近所の図書館で検索してみると、結果一覧に三冊現れ、その内の一つが本書だった。

大滝さんは元々米国の大学で電子工学の博士号を取得した後、東芝に入社、半導体技術研究所に配属されたが、二年でその組織文化に閉口して、たまたま新聞広告で目にした米系人事コンサルティング会社のヘイ・コンサルティング・グループに転職された理系出身者としては異色の経験を持つ。

その後も人事コンサルティング会社であるマーサーへ転職、アジアの代表を務め、再びヘイでアジアの代表を務めた。その間シンガポールに7年間在住し、今は早稲田大学大学院 商学研究科 教授やシンガポール南洋理工大学-早稲田大学ダブルMBAプログラムのプログラムディレクターを務めている。

そういう異色のキャリアを経ているので、理系出身者が持つ理系思考の優位性も従来型のキャリアから逸れていくことの難しさもどちらも身を持って体験しているわけだ。

それにしても、大滝さんが冒頭の私自身の問題意識に近い書籍を既に書いていたとは全く知らなかった。本書の発行は2005年なので当時私自身が日本にいなかったこともあるのかもしれない。

本書の冒頭には次のような記述がある。

・日本の上場企業の社長のうち、理系出身者はわずか30%弱
・(日本のメーカーで導入されている)専門職制度とは、エンジニアや研究者のキャリアパスを特別に設け、ある年齢に達しても、経営層には迎えずに、「フェロー」とか「技術参与」といったヘンテコな肩書きで呼び、専門職の大所にすえて特別扱いするというものだ。
理系人間の中には、自分の持つ技術にしがみついて、その分野だけで勝負しようとしている者も多い
理系人間は頭が良いわりには、自己表現やプレゼンテーションが苦手だ。「ああでもない、こうでもない」といろいろ考えこんでしまって、肝心のメッセージを相手に伝えたり、アピールしたりすることにまで注意がいかない。だから、世渡り上手な文系人間に負けてしまう

出典:「理系思考 エンジニアだからできること」ランダムハウス講談社 2005年9月21日

これらの点は私が以前感じていたことと重複する部分が多い。私の場合は外部専門家によるアセスメント結果で、理系人財の数値推論力が際立っている一方、言語推論力や対人関係力が文系社員と比べて競り負けているデータも見ていた。

先に「本人達もそんなキャリアを望んでいない」という諦めの話をしたが、それは事実として、もっと早い時期にリーダーとしての潜在性を持つ人材にはキャリア選択の機会を与えなければならない、と私は主張していた。

しかし本書にある通り、敢えてそういうキャリアに進んだとしても成功する保証は何も無く、もし失敗したとしたらその間にそれまで築いてきた技術的な専門性が陳腐化してしまうリスクもある。その結果理系社員は保守的なキャリアを継続していってしまう。

しかしどういうキャリアを選んでもリスクフリーということはありえない。実際私が勤めていた会社の外国人社員を見ると、理系出身とか文系出身とかの区別は無かった。英国人CFOは大学時代化学を学んでいたし、私の部下だった報酬のスペシャリスト、人材開発のスペシャリストも理系出身者だった。私が人材開発ダイレクター時代に部下を公募したところ結構理系出身社員の応募があった。

にもかかわらず日本では理系出身者の文系キャリア選択は稀だ。これは一つは当事者もマネジメント側も既定のキャリアに固執し過ぎていることもあるだろうし、理系出身者がエンジニア職以外の職に応募できるような職務設定の柔軟性が無いこともあろう。

またいわゆる性格テストの結果、日本人は上昇志向がグローバル基準では極めて低いという結果も見た。所謂「とがった」人は出る杭として打たれやすいので、「能ある鷹は爪を隠す」のが日本人の生き残りの知恵だったのだ。そういう中では理系社員が敢えてリスクをとって文系職種に応募する必然性が薄い。

しかし今や雇用コミュニティは変わった。人材ポートフォリオの多様化を目指して、正社員だとかギグワーカーだとか契約社員だとかいう雇用形態を超え、新卒一辺倒では無くキャリア採用で新たな知と経験を取り入れ、出入りの激しい人材の総力戦で戦う時代になった。組織の側でこういう動きがあるということは、逆に個人の立場で言うと、一つの企業やキャリアで生涯を過ごすのは人生100年時代のキャリア形成でリスクになりつつあるのだ。

また文系職種でもデータ分析や統計など理系センスが生かせる部分はますます増える傾向にある。むしろそういうセンスが無い文系社員は今後職種の選択肢が狭まってくる。

もし理系出身者で従来型のキャリア形成に疑問を持っている方がいるのであれば、本書を手に取ってもらえば、新たなキャリアを開拓する助けになるだろう。

後必要なのは新たなキャリアに踏み出す個々人の勇気と柔軟性だけだ。

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