[日記]こんな隙にまでねじ込める娯楽の方がすごい

新しい会社で仕事をするようになって1か月経ちましたけど、まだ全然戦力になれてないですね。 仕事に関わることはだいぶ多くなったけれど、この職場での私の役割って今やってることがメインではないので、でもメインであるはずの業務を請け負うにはまだ準備が足らないんですね。 これが非常にもどかしく、できないことに焦ってばかりで嫌になります。

とはいえ、仕事の中身そのものはとても面白く、今のところは残業も稼ぎと思えば全然頑張れるわーてくらいには楽しいです。 そもそも出向というのが初めてで、会社が変わるというのが刺激が多くて良いです。 前回の記事にも書きましたが、環境が変わることそのものにテンションが上がるタイプなのです。 総務系処理が最初だけ面倒というのさえ乗り越えれば、あとは全く知らない環境で全く知らない仕事をいちからやれるのがとても張り合いがある。 仕事そのものが好きという人間ではないので、仕事を楽しむにはそれに付随するもので楽しそうに仕上げるしかない。

以前は仕事を楽しいと思うなんてこと考えもしなかったんだけど、5年前くらいかな、もっとかな、たぶんその前後くらいのタイミングで、仕事を楽しいと思える可能性が己の中にあることに気づいた瞬間があります。 当時の先輩だか上司だかが、「こうしたほうが楽しいだろう」みたいなことを言ったとき、それまでは仕事が楽しいなんてちゃんちゃらおかしい綺麗事だと思ってたんですけど、あれ、本当に楽しいかもしれない、とその時に限って思えたんですよね。 自分の中のタイミングの問題だったんでしょうけど、それ以来仕事も自分の意図とか取り組み方次第で楽しくできるかもしれない、となり、えーだったら楽しめる方が絶対いいよね? となり、取り組み方で楽しさを作ることをなるべく意識するようになりました。

これは全然いい話ではなく、特に理想や情熱ややりがいをもって就職をしたわけではない自分は仕事を楽しくやるなんてありえないと思っていたけど、案外そうでもないかも? という当たり前のことにかなり時間を要して気づいたというだけのことですね。


今の仕事、10年くらい前にいた職場での業種に非常に近くて、ブランクはあるんだけど基本的な業務の流れは当時とそれほど変わりはないので、その頃の財産とここ数年で身に着けた別のスキルで現時点での業務をなんとかこなしているんだけど、ふとやっていることが10年前のものに近いなーと思い出して、懐かしいー楽しいーとなることがちょくちょくあるのが面白い。 私あの頃の仕事けっこう楽しんでたんだな、と今になって思ったりしている。

あと、業種としてはここ数年は全然違ったことをやっていたはずなんだけど、どちらの仕事にも共通するような知識はちゃんと自分の中に積み重なっていて、それがはっきりと役立つことが今の仕事でもあるから、ちゃんと真面目にやってきた期間と内容は、仕事内容が変わったとしても無駄なことにはならないんだなーと実感することが多い。 これは本当にまったく違う職場違う仕事だからこそ感じることかもしれなくて、ちゃんと積み重なってる! と分かるの、何気に嬉しいですね。 この10年くらいはそれ以前と比較すると相当ちゃんと仕事をしっかりやっていたので(というかそれ以前が酷かった)ちゃんとやっていることは無駄にならず身につくんだなーと。


色々あって、今のこの仕事してるうちは仕事に生きるぞ、と何となく決めていて、でもそれは自分の時間全てを仕事に捧げるとかそういう一般的にイメージされる壮絶かつ献身的な「仕事に生きる」ではなく、解読すると「平日は仕事に生きる、平日定時以降も必要であれば仕事に生きる、必要なければ遊ぶ、休日はいつも通り楽しく遊ぶ、どうしても対応しなくちゃいけない場合は調整する」になります。 緩い。 でも休日かけらも仕事を思い出さずに遊び倒すことでストレスを発散する生活をずっと続けているから、それができなくなったら仕事なんて続けられないんだよーみんなもそうでしょ!

仕事が今のところという注釈付きではあるけど面白いし、一緒に仕事をしている人たちも業務能力がそれぞれ五角形の一角だけ突き抜けるタイプの職人が多くて癖が強いなーと思うけど人柄はみんな抜群にいい人達なので、五角形が平均的に程よく形を保っている(面積は広くはない)私が己の使いどころを悩ましく考えつつ、私的「仕事に生きる」を全うするには良い職場に恵まれた気がするなーと思っています。
思ってはいるんですけど、しかし7月はしんどかったな! 残業がしんどいとかじゃなくて、どうしても行きたくて先行でチケットを確保していたライブを3本もスルーせざるを得なかったことが!
業務が立て込んでいると7月後半みたいなことにどうしてもなってしまうので、そうじゃないときにどれだけ定時で帰宅したりできるかですね。 でもそういう時期がいつ訪れるか、現時点ではまだ把握できていないので、しばらくは平日のライブはよほど遅い時間やよほどはっきりと帰れると分かっている日以外は厳しい模様です。

まあ、しょうがない、仕事に生きるんだからねえ。 でも飲みに行きたいからどうにか時間を作るしかない。 前の職場でマーベルの話をしてくれてた例の先輩から連絡来て、8月いつ空いてる?って話になってるから、それもどうにかして時間作るぞ。
とりあえず今関わってる案件の一番肝になる日、カミナリの漫才の日なので、出張だけは回避したい。 回避できれば行けるはずなので。

そうなんですよ出張多いんですよ。 すでに1か月の間に関東周辺から関西方面までわりとよく行っている。 8月頭でいったん落ち着くと思うんだけど、またしばらくは多くなりそうだし、私の役割的にはおそらくもう少し遠出が増えないとダメなんですよね。 客先に行って役に立つのがおそらく必要とされていることなので。 はーもっとがんばろ。


あまり家にいないので、お弁当以外の自炊があまりできてないのが悔しい。 お弁当も、出張入ると必然的になしになるので作り置き計画がなかなか難しい。 でも事務所の場所柄お弁当でなく外でランチとかやってると破産するし、お弁当はカロリーコントロールがしやすいのもいいんですよね。
先日駅の中の生鮮売り場で魚の切り身が種類関係なく3パック1000円てのをやってたので、いろいろ買ってきて全部冷凍して、つまみ作りたくなったら引っ張り出してくる用にしました。 念願の「いつでもつまみでもてなせる部屋」に一歩近づきました。 先日は切り身のひとつを使ってトマト煮にして飲みましたが、魚をトマトで煮るのにすっかりハマってしまったので、ほかの切り身も近い未来にすべてオリーブオイルで焼き色を付けてからトマトとハーブで煮込まれる運命かもしれない。 鶏肉と白身魚は焼き色を付けてからトマトとハーブで煮込むのがひたすら正義、もちろん正義はこの世にたくさんあるけど、現時点での我が家の正義はこれ。

カチャトーラというイタリアの家庭料理があって、ざっくり言うと鶏肉を焼いてトマトで煮込んだものです。
自分がまだ小さい頃、ど田舎の実家の街に、なぜかとてつもなく画期的な洋食屋さんが出来て、そこがパエリアとかカチャトーラとかハンバーグとかを提供してて、しかも出前をしてくれたんですね。 我が家は共働きだったので、母が帰りが遅くなるときはその洋食屋さんに出前をお願いしてくれてました。 よく頼んでいたのがカチャトーラで、たまにパエリア。 一番お高いパエリアでも1000円、カチャトーラは単品でも600円くらいだったかもしれない。
お安い上に出前をしてくれて、しかもこれが子供心にめちゃくちゃ美味しかったのです。 今でも姉とあのカチャトーラの話をしますし、料理上手の姉の料理に対する原体験はおそらくあのカチャトーラだったと。 よくぞあんなお店があんなど田舎にあったなあ。 お店に食べにもよく行ってました。 いつのまにか営業終了してしまっていたけれど、今でもたまにあの味が恋しくなる。
自分がお酒を飲むようになって、ワインに合う料理を自宅で作るとしたら、と考えていた時に、カチャトーラ作ってみようか! となって少し前に作ったのですが、小さい頃に食べたあの洋食屋のカチャトーラにはならなかったなあ。 美味しくはできたのですが、思い出しちゃうんですねどうしても。
ど田舎の小学生がカチャトーラとパエリアという料理を身近に感じることができたのは、今となっては素晴らしく幸運だったと思います。 あの洋食屋さんがなかったら、姉も私もこんなに食に強い欲求は持たなかったかもしれない。
で、そんなこんなで鶏肉もいいけど魚もトマトで煮込んだら結局美味しいじゃない、となって、今のトマト煮ブームに至ります。 また作ろう。 鯖がいいですね、脂がのってる魚がいい。


久々に長い文章を書いた。 長い文章を書くのもストレス発散になります。 結局仕事のこと考えずに楽しめることは全部ストレス発散になるんじゃないか。

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