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夏の青い網戸 / 芸術未満 21

 子供の頃、夏休みの旅先で下田は早朝に目覚めた。ログハウスのような部屋は青い網戸から涼し気な気配が感じられた。家族は誰も起きておらず、セミの声も聞こえない。一体、自分は今どこにいるのだろうかと不安になったが、そう、旅行で自分の家でない場所に泊まっているんだ。意識がはっきりしてくると、昨日捕まえたカブト虫のことを思い出した。クヌギの木でオスとメスを1匹ずつ運良く捕まえたのだ。虫カゴがなかったので細かい穴をいくつか開けた蓋付きの箱に2匹を入れておいた。 

 下田はそれが気になった。死んではいないだろうか。箱の中で大丈夫だろうか。 

 箱の中でかさかさとカブト虫の動く音がする。死んではいないようだ。下田は様子を見ようと蓋を開けた。 

 箱内の黒い雄雌は、がっちりと重なり合っていた。これは交尾なのか。下田は見てはいけない物を見てしまったと慌てて箱を閉じた。気味悪くまるで情欲に充ちた二人の大人が箱の中でこっそり交接しているのを見てしまったようなショックだった。虫の顔が愛すべきカブトではなく、怖ろしく生々しい、人間の大人と同じ顔をした生き物に思えた。カブトの黒い体に、ぎっしりと(子供にはまだ無い)毛の生えた情念のようなものが詰まっているようだ。下田は気が遠くなりそうな動悸を感じながら、もう一度布団に戻ろうと後ずさりした。

 夏の太陽はまだ上らず、大きな青い網戸のせいなのか部屋中は薄青い静けさで一杯だった。下田は微かな虫たちの脚音が聞こえないように、布団深くもぐり込んだ。

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