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記憶と悪夢の表現。寂滅と退廃…そして恐怖の『還願』

「芸術の特徴の一つ」としてブライアン・イーノは「アイデアを簡単にシュミレーションできること」と言っている。

シュミレーション、模擬… なるほど、

であればゲームも「シュミレーション」には向いている。

歴史や文明盛衰、都市運営を丸ごとシュミレートするゲームもあれば

ドライブや飛行機操縦のシュミレーター(そのもの)もある。

台湾産のゲーム『還願』で遊んだ。

政治的な問題で販売中止になっていたようだが、ようやく最近再発売されたようだ。

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これはホラーゲームということらしい。

ホラーゲーム。しかも視点が(自分が大の苦手の)1人称スタイルである。

遊ぶのは遠慮しておこうかと思ったが公式ページと紹介ビデオを見ると

音楽(主題歌)が草東沒有派對(No Party For Cao Dong)であるという。

台湾のインディーバンド、草東沒有派對は大好きなバンドなので、これはゲームをプレイせざるを得ないと思った。

ゲーム内容は、1980年代の台湾、とある団地の一室、そこに住む父親として、これまでにあった愛と悔恨に満ちた悪夢のような記憶を追体験する、という(文字にすると非常にプレイしたくなくなるような)内容。

※以降、ゲームの核心に近いような内容が含まれている可能性があるため、ネタバレ厳禁の方はご注意ください。

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ホラーゲームであるので、もしかしたらそのような設定は「よくある」類のものなのかもしれない。

深夜の西洋屋敷で無人のドアを開けたらゾンビに襲われるようなビックリハウス的な「驚かされ」は、どうも心臓に悪いのでこれまでその種の恐怖ゲームはひたすら遊ぶのを避けてきた。

なぜ好き好んでゾンビらの潜む暗闇の廊下を歩かねばならないのか。血まみれのスプラッター表現もあまり心地良い物ではない気がする。(ただの臆病)

『還願』はどうであろうか。

まさにその種の、1人称、単数、無人の部屋でドアを開ける恐怖、という「そのもの」の形であった。

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しかし、退廃的で狂的な美しさがある。寂滅とした静寂もある。

時間が1980年、1983年、1985年などと行ったり来たりできるのも「時間的倒錯」を自在に味わえるので(こわいのだが)おもしろみはある。

ゲームは確かに想像以上に怖かった。恐怖ゲームに対する耐性が無いせいもあるのだろうが「なぜお金を払ってこんな怖い思いをしなければならないのだろう」と本気で思ったくらいだ。

「もうやめたい」と思いつつも、狂的なこだわりを感じさせ、憂鬱さと郷愁に満ちたグラフィックにゲームコントローラーの手を離せないのである。

『還願』はコワイ、しかしどうにも美しい。主人公(プレイヤー)である「父」はすでに発狂しているのではないだろうか。

狂人の記憶を追体験させるゲームとは酷である。狂人ではなく「廃人」かもしれない。

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ようやく、どうにか自分もゲームをやり通すことができた。

メイシンちゃんという少女がひたすら一途でかわいいのである。1980年代の木製台にあるテレビに映る愛娘の姿を主人公(プレイヤー)はどう見るのか。

草東沒有派對の主題歌に惹かれてゲームをプレイしたが、実際に心にいつまでも残ったのはメイシンちゃんの歌う「碼頭姑娘」であった。

歌番組を模した映像といい、当時のテレビを忠実に再現したグラフィックといい、正に魔術的な名曲、名シーンであった。

このゲームにはプレイヤーにショックを与えるような恐怖も確かに幾つかある。

だが、最後に残るのは痛切な哀れみであった。

1人称、単数として父親視点でゲームを動かすプレイヤーは、他人であり「彼」であるはずの「父」の中にいる存在(それは「私」になってしまう)としてコントローラーを持っている。

これは非常に愚かな悲劇の追憶のようだ。

「愚か」だとどうしても私が感じてしまうのは、メイシンちゃんに(両親を想う)純粋な子供心を感じるから。

(娘を想う愛に満ちているかもしれないが)愚かだと思う「彼」(主人公・父)の操作担当としてゲームコントローラーを動かすのは、ときに苦痛でもあった。

「これは作り話だ」「フィクションだ」「たかがゲームだ」と自分に言い聞かせながら、「追体験」(ゲームをプレイ、という言葉では生ぬるいのだ)した。

映像は3Dでリアルだし、サウンドがすさまじく凝っているのである。

あの恐怖の一室に自分も入り込んだような印象がある。これをVR化されたら、たまらない。

あの愚父のようにしばらく(愛と悔恨から)廃人化するかもしれない。

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ゲームとして特にすばらしいと思ったのは、三途の川での映像表現。

霊界(のようなもの)を見てきたのではないか、と思うくらいの生々しく灰色な映像、右を見ても、上を見ても、左を見ても、VRさながら、360度の地獄。

自分は愚父として来し道を何度か振り返った。

これは記憶の再現だ。

ゲームによる新しい自我/記憶/悪夢の表現である。

私はしかし、最後まで愛娘、メイシンの生を確信しているのであった。

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