いつ就活するの?という問いに対する回答

去る3月23日、東京都立大学の卒業式・学位授与式が行われた。私の多くの同期は学部を卒業し、4月から新たな身分でのスタートを切る。この度は本当におめでとうございます。


大学院等に進学しない大学生の多くは、だいたい学部3年の冬の終わり頃には就活をし始めるものだ。私の先輩や同期もほとんどもそうだった。しかし、どうやら就活という行為はそこまで楽しいものではないらしい。彼らが就活に苦しんでいる姿を見ていると、私もまた就活に苦労するであろうことは明らかであった。

彼らが苦しみながら就活をしていることについては、正直に言って不思議でしょうがなかった。苦しむくらいならやらなければ良いのに…と思っていた。それぞれの事情はあるにせよ、中には「22卒」の同調圧力によって仕方無しに就活をしていた者もいたと思う。

新卒一括採用がまかり通っている日本において、同期たちと同じように就活をせざるを得ないと思ってしまうのは仕方のないことだ。これは就活に限った話ではなく、大学受験等にも同じことが言えると思う。私もそうだった。周りが大学受験をするというから、私もそうした。だから、大学に入学した当初、自分がなぜここにいるのかがわからず、とても戸惑った。大学2年生くらいまでは、自分がしたくないことを強制的にやらされている感じがしてとてもつらかった。おそらく、自分が今就活をしたら、同じ思いに駆られるに違いない。だから私は、今は就活をしないことにしている。このことについては次の段落で浅堀りする。同調圧力に流されるよりも、自分の意志を優先したことのツケは、いつ回ってくるのだろう。

就活は職を手にするためにある。今の自分には就きたい職業がまるでない。当然、就活へのやる気も無いに等しい。就きたい職業ができたとき、私は就活に全力を注ぐだろう。問題は、ほんとうの意味で「就きたい職業」なんて存在するのか、ということだ。みんな理想と現実のギャップに悩みながらも、最終的にどこかで折り合いをつけて、その中で自分の人生を歩んでいくのかもしれない。それはそれでアリだと思う。でも私はもう少しだけ「自分の理想」とは何なのかを追及していたい。だから今は就活はしない。というのも、前述の通り、これまでの私は周りの人とともに敷かれたレールをひたすら進むことに熱心になっていた。だから私には、自分の人生を考える能力が圧倒的に足りない。この能力を養うために必要なのは、自分の理想とは何かを考えることだけではない。例えば、この社会とは何か?人間とは何か?こういった思考があって初めて、自分の理想=就きたい職業は見えてくるのだと思う。それがないと、臆病な私は不安になってしまう。もっと幸せな道があったのではないか?と思ってしまう。どんな道を選んだとしても、それを本当の意味で「自分で」選択したい。自分の選択に責任を持ちたい。そのためには、私にはもう少し時間が必要だ。

ここで基本に立ち戻る。私は、人間というものは、公共の福祉の内側で、やりたいことをやって生きていくべきだと思う。私は周りに合わせて生きてきたから、自分が本当にやりたいことを見失ってしまった。今は就活より何より、「やりたいこと」を優先したい。いつの日か、就活という行為が、自分の「やりたいこと」に一致する日が来るだろうと思う。


この理論でいくと、今は大学を卒業しないほうが良い。今の就活業界には、新卒一括採用がはびこっているからだ。いつか就活するときに、「あのとき卒業しなければ…」と思うのはやっぱり嫌だ。そしてそれ以上に、大学という場が自分の人生を考えるためのヒントを与えてくれる。教授や学友たちに助けてもらいながら、少しずつでも就活への意識を高めていけたらと思う。

まとめ:①就きたい職業がない+②就きたい職業を見つけるために、もっと自分や社会や人間そのものと向き合いたい+③自分がやりたいことベースで生きるために、今やりたいことをやっていたい=今は就活しない

↑わかりやすい文章のほうが喜ばれるからこういうまとめを書くけど、人間というのは「わかりにくい」のが本質だと思うから、私の文章を読むときにもそのわかりにくさを楽しんでほしいなと思う。不遜な態度ですみませんが、自分ですら自分のことなんぞわかっていないので。

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