美術館デート


美術館デートが好きだ。

同じ空間で同じものを見ているはずなのに、お互い別の感性で違うものを感じて、考えて、咀嚼している。体の中に浮かんでは消える言葉にできなかった曖昧な理解を自分のものにした気になっては、得意げな顔をしている。同じ空間に存在しているのに、別々の空間に姿を消してしまったかのような、半透明の距離感。そういう全てを心地よく感じる。
「分からないや
と、耳に音声ガイドを当てながら不可解に展示を眺める彼を横目に、今度は彼の好きな場所を考える。分からないことを分からないと言える素直さ、興味がないのに美術館に連れてきてくれるところ、私の喜んだ顔が好きなところ。そういうまっすぐな人間であるところがとても好きだ。
「たのしいね」
私がそういうと、彼は「楽しんでくれてよかった」と嬉しそうな顔をした。理由はわからないが、私は彼に無条件に愛されている。きっとこれから先も彼の愛を身体中に巡らせて、生涯幸せに暮らしていくと思う。でもそれは少し恐ろしくて、奇妙で、とっても残酷なことだと思った。
 今日は国立新美術館で開催されている李禹煥の展示を見にきた。大学生頃、美術について勉強した中で一番好きと言っても過言ではないくらい好きな現代美術家の展示だ。一緒に来てくれた彼は、禹煥(ウファン)の読み方もわからないし、禹煥の作品も見たことがない。(といっても私もそこまでの知見は待ち合わせていないのだが)それでも、私の好きなものを知ろうと努力をしてくれて、わざわざチケットを取ってくれた。「うーん、難しいな、」と耳にスマートフォンを当て、作品解説を聞きながら、困った顔でゆっくりと展示を回る彼の横顔を愛おしく思った。

 展示も終盤に差し掛かる頃、石と鉄板の展示があった。大きな石の隣に、それまた大きな鉄板がフロアに置いてあって、タイトルは『彼と彼女の関係』と書いてある。
石は硬く、重く、そこに存在しているだけ。同時に、鉄板も硬く、重く、そこに存在しているだけだった。
石と鉄板、二つの違いは、物質が持つ性質の特徴だけ。石は、温めても冷やしても形が変わるわけではなく、ただそこに存在し続けるだけだ。しかし鉄板は、温まることで、ぐにゃぐにゃと形を変えて、石さえも包み込むことができるし、冷ますことでは、ぐにゃぐにゃと形を変えた後の形を留めることができる。
そんな性質の違う2つが「彼と彼女の関係」だった。

石と鉄板のどちらかが、彼と彼女に分類されるなら、それは2人の間にある物語によって変わるのだと思う。私と彼の物語なら、私が石で、彼が鉄板になる。私は彼に無条件に愛をもらい、包み込んでもらっているのだから、と、思った矢先に、彼は「俺は石かなあ」と呟いたあと、こう続けた。

「もし、この鉄板が石を包み込むことができるなら、いつも沢山の愛に包まれているから、」

理解の及ばない芸術作品を前に、すこし自信のある顔で、彼はそう言った。

「それは、私の台詞だよ」と、言葉にしようとして、なんとなくやめた。
普段私が感じている愛は、彼によってもたらされているだけではなく、無意識のうちに彼に与えている愛なの見返りなのかもしれない、と気がついたから。

展示が終わり、まだ難しそうな顔をしている彼が、今度は何を見に行こうか、と言ったのを見て、やっぱり美術館デートが好きだと思った。

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