カリスマは言葉をまとう~スプリンターズSをちょっと考える~
土曜の朝はアントニオ猪木、逝去というニュースではじまった。前日には円楽師匠もこの世を去った。プロレスと落語会、昭和という歴史を彩る灯がふたつ消えた。アントニオ猪木のプロレスは破壊と創造、情念で人の心を揺れ動かした。誰にでも楽しめるプロレスという単純なようでいて、実に奥深いものをつくったのがジャイアント馬場なら、アントニオ猪木のプロレスは文脈、行間を読ませる哲学的ななにかがあった。そのなにかをみんな探した。猪木はなにを伝えようとしているのか。昭和のプロレスはそういった作業が必要だった。そんな文学的なセンスを身につけたくて、私も新日本プロレスに入れ込んだ。だが、それがぼんやりと形になったところで、アントニオ猪木は見事に破壊する。それは彼自身の旅でもあった。人は孤独であり、生きるということは進むことでしかない。安寧を求めず、ひたすら旅に生きた。
いつしかプロレスは人生になった。それを導いたのがアントニオ猪木だ。人生の写し絵であり、人生はプロレスのようなものだ。どちらが虚でどちらが実なのか分からなくなるほどに、人生とプロレスは入れ替わり続けてきた。ぐるぐると回り続けながら、いつしかその円の半径が大きくなる。人生とはそういったものなのかもしれない。
人生を問うアントニオ猪木はいつも言葉をまとった。1998年4月4日。平成という時代の幕が開いて、9年目の春、引退興行で詠んだ「道」という詩は「この道を行けばどうなるものか」という言葉からはじまり、「行けばわかるさ」で閉じる。背中を押すような優しさをまとっていた。数多くの名言にプロレスファンは熱狂した。カリスマとは言葉をまとう者が身につけるマントのようなものだと、アントニオ猪木を通して習った。
落語が好きで、言葉選びで騎手という職業を超えていったのが武豊という人。そんな人が語る「夢」にファンが惹かれるのは自然なこと。凱旋門賞は日本の馬が種目の違いを乗り越えなければ手が届かない難問。客観的な可能性ではタイトルホルダーだが、日本馬初の凱旋門賞勝利は蛯名正義か武豊であってほしい。昭和に花開き、平成という時代をつくった二人に肩入れする私も昭和生まれ、おじさんになった。
令和という時代に生まれたサラブレッドの先頭は2019年生まれの3歳世代。正確にはほとんどは平成の終わりに生を受けているが、この世代からが令和だと言い切ってみる。ナムラクレアは3歳世代を代表するスプリンター。斤量の恩恵だけで函館SSは片づけられない快勝。北九州記念では中団から馬群を縫ってきた。その成長たるや見事。
相手は平成最後の世代を代表するスプリンターのメイケイエール。昨年までこのレースを引っ張ったモズスーパーフレア、ビアンフェは今回不在。超ハイペースはない。かつて暴走気味だったメイケイエールはその頃からバテた姿を見せたことがない。底なし感が恐ろしかった。陣営のケアでレースを上手にこなせるようになり、素質開花。流れに応じて競馬ができる。
春は枠に泣いたが、今回も外枠はほんの少し気になる。秋の中山は開催が進んでも良馬場なら、インが強い。むしろ最終週ほどイン、先行優位になったりする、ちょっとつかみにく馬場。これこそ中山。土曜日に芝の特別3連勝の浜中俊騎手はきっと中山の馬場を把握している。ナムラクレアはメイケイエールの前にいるのか、後ろにいるのか。やればわかるさ。
3連単⑨⑬→⑨⑬→①②⑥⑧⑫⑮(12点)
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