それぞれの10年
東日本大震災後から10年、この前の2月14日も大きな地震あって、嫌な記憶が蘇った。
しかも、私の住んでる地域は停電も起こり(おおきな道一本向こうは明るかったけれど)、あの時も電気って有難いなあ、と思いながら過ごしていたな。
家に居たから、とりあえず浴槽に水を貯めて、それを懐中電灯を照らして眺めていた。(絵面がホラゲ)
10年前のあの日、天気もよく、気候も良く、お出かけ日和と言っていいほど気持ちのいい昼下がりだった、そのまま藤沢に行き、ジュンク堂で買い物していた所、急に揺れたのだ。
大きな揺れをあまり体感した事がなく、神奈川でもとても恐かった事を覚えている。
ジュンク堂のスタッフは慌てず落ち着いた態度だったし、電車が止まってても一緒に居た母もすぐ収まったしすぐ復旧するでしょ、って感じで呑気にご飯を食べに行った。
そのご飯を食べに行った先でようやくケータイの電波が出来ない、そこでようやく、この地震結構ヤバい? といった感じだった。
ようやく繋がったケータイでニュースを見てようやく地震の規模を知ったのだ。
ありがたい事に父の仕事場の人が車を貸してくれたので家に帰る事はできた。
暗い部屋の中当時飼っていた矮鶏(ハク)が一羽怯えてゲージの中で怯えていて大変申し訳無い気持ちになった。
ゲージの上に倒れてる無数の本、あの小さな身体、生身であれば潰れて死んでいたかもしれない。
その後もハクは余震がある度ゲージに飛び込んでいた、ゲージの中が安全と学習したらしい。
誰だ鶏は鳥頭って言ったやつ、あいつら根に持つぞ。
神奈川はそこまでの被害は無かったけれど、夜に余震が来る度に町内放送が入るわ、ケータイの地震速報が入るわで、寝る事すら怖い、でも体力持たない、いつ地震くるかわからないからやっぱり怖い、と繰り返していた気がする。
そして計画停電(輪番停電)もありました、気付いたら無くなってたけど地区調べて、その間どうするかとか、ろうそくひっぱり出して明るくしたり、ガスで米炊くようになったりした。
この事が無かったら2月14日の日は慌てふためいてたなあ、無駄に連絡したり、情報収集しようとしてデマ掴んでたりしてた可能性はある。
10年前に学んだ事は、落ち着いて行動をする。
そういえば風呂に水を溜めるという行為、小さなお子さんがいるお宅ではやらない方がいいらしいですね、溺れてしまう可能性があるから。
まあそこは臨機応変に。
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