私は社会不適合者

人間には、二つの種類がいる

社会に適合している人間と、そうでない人間


私は、後者だ。


どう適合するか、それは個人によって異なる

やりたいことが違うことによって、異なってくる


後者だと思っている中でも、自分と合わないものをしているからそう思い込んでいる者もいる

しかし、私は違う。


なぜなら、私は努力することが嫌いだから。


全てにおいて、努力は必要だ

努力をしたものが輝ける世界

そこに才能はあったとしても、努力をしなければ認められない


その世界で努力を嫌った私は、いらない人間として区別される

才能を多少持っていたとしても、極限まで努力をすることができないから、最終的には捨てられるのだ


私はこの19年間、できる限りの努力を尽くしてきた

勉強だって、運動だって、仕事だって頑張ってきた

だけど結果を見た大人たちは私を評価しなかった

勉強は多少ましであったが、運動と仕事に至ってはひどい有様


差別され、我慢を強いられる

そのうちに、やる気はなくなっていくのだ


酷く、憎く、悪く、自分が落ちていく様を私は気づかない

そしてある日気づくのだ

もう、疲れ果ててしまったのだと。


しかし、時は容赦無く流れていく

人は成長していく

私もついていかなければならない

おいていかれれば、私の中の唯一の希望である楽しみさえ、奪われてしまう


体は動かないのに、心は焦るのだ

もう堕ちた私には、何もできないというのに


楽しみを蓄積させて、少しずつ私を回復させる

そうしてようやく、体が動く

しかしその体は、楽しみのために消費され、奪われる

趣味を楽しむためには、お金が必要だから

私の唯一の希望は、お金がないとできない


そうして私はやる気を失う

なんのために生きているんだろう

いつこの世にさよならするんだろう

私は何をしたいんだろう


もう、疲れたのだ

しかし、この世界は止まることを許さない

時間は動き、社会は回る

どんなに危機的状況だとしても、常に動いている


社会に生きなければいけない世界の中で、私はどうやって生きれば良いのだろう

疲れたんだ

休ませてくれ


夢に浸りたい


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?