私と過敏性腸症候群ガス型⑷
通信制に編入し、
時間にも気持ちにも余裕が出てきたタイミングで、またアルバイトも始めた。
接客が好きだったので、
飲食店に同級生たちが居ない
朝からお昼をメインに色んな場所で働いた。
パートさんだと安心するのか、あまり症状が悪くならず、気にならない日もあったこと
後は、ランチタイムのような忙しい時間帯は
逆に気にしてる余裕もなく、
それが症状が良くなった経験があったから選んだのが1番の理由だったと思う
勿論、体調が悪い日もあったので
その時はお休みを頂いたりもしていた
(私はホルモンバランスに影響を受け、悪化することもあった)
進学の為、半年で辞めてしまったが、
このアルバイトは私にとっては
良くも悪くも良い経験となった
※この飲酒店に出会うまでに色んなアルバイトを辞めては始めてを繰り返して、漸く出会えた私にあったお店だった
どうしても大学に行きたかった私は、
男子生徒が居ない女子大を選んだ
同年代の男子に特に嫌な思い出があり、
安心出来る同性が集まる大学で進路は探した
後は、学びたい分野も決まっていたので
1番良いと思った大学へ進学をした
私が入った学科は人数も少なく
尚且つ私と同じように心に傷を持った子が多く
価値観や考え方も似てる子が多く在籍していた
心地の良い空間で友達、教授にも恵まれた
大学生らしいことは、
本来の目的である講義を受け、学ぶこと
朝から夕方まで大学内にこもってるぐらいで
キラキラ大学生みたいな生活はしていないけど、良い学生生活を送れたのかなと思う
体調の方はというと、最初の2年間は酷かった
中学生の頃までは、言わないが
症状は朝の通学の電車から夕方帰宅するまで
ピークで出ていた
教授には本当に申し訳ないが、
辛い時は適度にトイレに逃げたり、違う部屋で
休憩したり、事情を説明し、
席を後ろにしてほしいとお願いしていた
本当に無理な時は事情を説明し、休んでいた。ただ、それにより数々の単位を落としてしまったので、恥ずかしながら4回生の後期までゼミ以外の講義を受けていた。
卒業発表ギリギリまで、本当に私は卒業出来るのかとドキドキしていた。
大学で1番学びたかったことは、ほぼ全て3回生までに何とか講義は受けれていたので、大学で学びたいことは学べたかなと思う。
ただ、唯一後悔していることは、もっと沢山の大学でしか見れない文献を読み漁れば良かったなと思っている、、、それぐらい今でも好きな分野である。
20歳には、名医が居ると聞いた大学病院へ通い出した。実際は居なかった。
が、その時に処方された漢方が合っていたこと
大学生活にも慣れていき、症状が出やすかった場面でも出なくなってきていたこと、ストレスが減ったことが、症状が少しずつ出る頻度が減っていた。
恐らく、薬よりも後者の方が私にとっては
大きかったように思う
20歳ぐらいには、何を食べたら何を飲んだら
症状が悪化するのか分かっていたので、
それは全て控えていた
私の場合は、
焼肉 →翌日から1,2週間 悪化
ヨーグルト → 1時間後から1週間 悪化
炭酸、ガム → 基本NG など、、、
どうしても食べたい時は、予定確認!調整!
って感じの日々だった
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