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5.考察 5-4.愛知県八勝館御幸の間について

堀口捨己が、横山大観の障壁画の計画を却下して選んだという大襖の更紗。もとの更紗はどんなものだったのか???
この考察は、長い長い楽しい旅のような作業でした。

5-4.愛知県八勝館御幸の間について

 実地調査および文献調査結果をもとに考察する。
 
5-4-1.もとの更紗について
御幸の間に貼られた裂はもともとどのようなものであったかについて考察する。堀口自身は、大襖の裂について新渡りの南方の空色と紫との絞り染めとなった上に截金の印金を施したのであるとしている(堀口、1978、120)。池田は南方風の摺箔裂地でそれぞれ色や文様が異なっているとしている(池田、1990、66)。このことから、裂についてはインド更紗またはジャワ更紗ではないとかと仮説した。小笠原によると、インド更紗は寺院やテント用の装飾布として力量を発揮したが、ジャワ更紗は衣料を中心に発達したという(小笠原、2007、184)。インド更紗とジャワ更紗の図版を確認してみたところ、ジャワ更紗と共通点があったため、以下にジャワ更紗ではないかとの仮説をもとに論じる。
吉本はジャワ更紗について伝統的なデザイン様式は基本的には制作地域の違いから中部ジャワ様式とジャワ北岸様式に大別されるとしている(吉本、1993、153)。さらに吉本はジャワ更紗のデザイン様式を、古典様式、中部様式、ジャワ北岸様式の3種類に分類している(吉本、1996、188)。本論ではデザイン様式として、制作地域の違いによる中部ジャワ様式とジャワ北岸様式について検討する。中部ジャワ様式とジャワ北岸様式の色彩・模様・用途と模様構成の概要は表11のとおりである。
表11_中部ジャワ様式とジャワ北岸様式の色彩・模様・サイズと模様構成
(『ジャワ更紗』吉本、1996をもとに筆者作成)

中部ジャワ様式とジャワ北岸様式の比較を行うと、腰巻の模様構成と、腰布のサイズと模様構成において下の通り相違点が確認できた。腰巻の模様構成は中部ジャワ様式では連続模様による総模様であるのに対し、ジャワ北岸様式では、全面に単位模様が繰り返した連続模様による模様構成と、パダンと呼ばれる中央部の区画の周辺にボーダー模様をともなった模様構成がある。そのうち、後者は、腰巻の四辺や二辺を構成しているものや、クバラと呼ばれる区画とその内側のクモドと呼ばれる細長い区画が、ボーダー模様として、腰巻の左右の端、もしくはその一方を構成しているものがある(挿図3)。

挿図3_ジャワ北岸様式の腰巻の模様構成 (転載『ジャワ更紗』、1996、199)

腰布には、ほぼ全面に単位模様が繰り返した連続模様による模様構成と、中央部に無地、あるいは模様があらわされた、菱形、長方計、六角形などのトゥンガハンと呼ばれる区画をともなう模様構成がある。腰布のサイズは、中部ジャワ様式では幅240〜250cm、長さ340〜400cmであり、ジャワ北岸様式では、幅200cm前後、長さ350cm以内と中部ジャワ様式に比べて小さい。模様構成は、中部ジャワ様式は総模様の模様構成のほかに、中央部にトゥンガハンという白無地の四角形、菱形、六角形などの区画をともなった模様構成がある。ジャワ北岸様式は中部ジャワ様式に準じているもののほかに、パダン、あるいはトゥンガハンをともなったパダンの周囲に、比較的幅の広い枠状のピンギルと線状模様のプンゴトで構成されたボーダー模様があらわされたものがある。

5-5-2.大襖の表の更紗について
大襖の表に貼られている、藍と紫の絞染のある唐草模様の印金(截金)更紗について考察する。
吉本によると「ヨグヤカルタの宮廷で王家の人々が着用してきた中部ジャワ様式のジャワ更紗のうち、とくに中央に菱形や長方形の白無地のトゥンガハンのある胸布や腰布には、印金とアップリケをともなったものが見出される」とある(吉本、1996、139)。また、小笠原によると「貴族の礼装用のドドトと呼ばれる大型の布は、中央に菱形、あるいは楕円形の白地を残し、周辺がバティックで埋められる」という(小笠原、2007、186)。堀口の挿絵にあるトランプのダイヤのような模様とは、宮廷のジャワ更紗に見られるトゥンガハンではないかと考えられる。
もとの裂の大きさについて堀口は「十一尺に八尺あまりある大きさ」と述べている。長さ330cm、幅240cmである。主な衣料としては、腰巻、腰衣、腰布、肩掛け、胸布、頭巾、パンツである。その中でも腰布が最も寸法が大きい。吉本によると、ジャワ更紗の腰布の寸法は中部ジャワとジャワ北岸では異なるという。中部ジャワでは、幅が200cm〜250cmで長さが350cm〜400cm、ジャワ北岸では、幅が200cmで長さが350cm以内である(同、194、200)。そのため、寸法からみると中部ジャワの腰布である可能性がある。
トゥンガハン模様のある腰布の事例としては、宮廷の金更紗として、「絞り染めをほどこした藍地の布に截金で森の木々や動物をあらわした」がある(挿図4)。ジャワ島スラカルタのもので、寸法は幅203cm、長さ343cmである。スラカルタはジャワ島中部に位置する(挿図5)。

挿図4_腰布、印金(截金)・絞り染め、木綿布
(転載『ジャワ更紗 その多様な伝統の世界』、1993、84)
挿図5_ジャワ更紗の主な制作地 (転載『ジャワ更紗』、1996、179)

以上より、大襖の藍と紫の絞染のある印金(截金)更紗は、トゥンガハン模様のある宮廷の金更紗で、中部ジャワで製作された腰布ではないかと考える。

5-5-3.その他の更紗について
大襖の裏と地袋・天袋・欄間・襖・衝立の更紗について考察する。御幸の間に貼られた更紗は地色・文様が12種類でそのうち、3種類の地色・文様は異なる箇所に同じ地色・文様の裂が使用されていることがわかった。最も使用箇所が多いのは、赤地ボーター幾何形の印金更紗であり、付書院地袋上部、床脇天袋上部、大襖裏の中央部・下部、欄間の表上部、欄間の裏、襖の①と⑩、屏風の⑥の7箇所である。2番目は、青緑地ボーダー唐草模様の印金(截金)更紗で、付書院地袋下部、大襖裏の上部、欄間表の上部の3箇所である。3番目は茶色地パダン菱格子模様幾何形小花チュブロックの印金更紗で、床の間地袋と床脇天袋下部の2箇所である。その他の箇所に使用されている種類についても、同じ地色であれば同じものである可能性はあるが、本論では前述の3種類の地色・文様について述べる。
まず、7箇所に使用されている赤地ボーター幾何形の印金更紗について考察する。7箇所はいずれも細長く長い箇所に使用されている。色彩については前述の通り、中部ジャワ様式のジャワ更紗を構成する色彩は茶褐色と青色の2色に限定され、一方、ジャワ北岸様式は華やかな色づかいが特徴である。更に合成染料が使用される以前には藍と茜とソガ染料を使用した青色と赤色と茶褐色があり、茜染めによる赤色のみで構成されたものもあるという(吉本、1996、195)。このことからジャワ北岸様式の可能性がある。細長い箇所に使用されていることから、肩掛け・胸布より長い腰巻のクパラ[1]とクモド[2]区画部分である可能性が高いと考える。ジャワ北岸様式の腰巻の寸法は中部ジャワ様式同様に幅が100〜105cm、長さが230〜280cmであるという(同、193)。赤い地色で腰巻の事例としては、20世紀前半の腰巻がある(挿図6)。

[1] 腰巻の両端、あるいは片方の端のボーダー模様の区画。
[2] 腰巻等を構成するクパラとパダンの間にあらわされた細長い区画。

挿図6_腰巻、ロウケツ染め、木綿 ジャワ島北岸 (転載『ジャワ更紗』、1996、11)

また、床の間地袋、欄間の裏、襖の③と⑦、屏風の①にはボーダーと同じ地色のパダン幾何形チュブロックが使用されている。同じ腰巻のパダン区画部分ではないかと推定する。原型推定図を示す(挿図7)。

挿図7_赤地ボーター幾何形と赤字パダン幾何形チュブロックの 印金更紗の原型推定図(筆者作成)

次に、3箇所に使用されている青緑地ボーダー唐草模様の印金(截金)更紗であるが、前述の大襖の藍と紫の絞染のある印金(截金)更紗の藍地の部分の印金(截金)の唐草模様とよく似ている。そのため、腰布の四隅にあるボーダー柄部分ではないかと推定する。原型推定図を示す(挿図8)。

挿図8_藍と紫の絞染のある唐草模様の印金(截金)更紗の原型推定図(筆者作成)

最後に床の間の地袋、床脇の天袋の小襖の2箇所に使用されている茶色地パダン菱格子模様幾何形小花チュブロックの印金更紗について考察する。
色彩について吉本は、中部ジャワ様式のジャワ更紗を構成する色彩は茶褐色と青色の2色に限定され、一方、ジャワ北岸様式は合成染料が使用される前は青・赤・茶褐色、合成染料導入により多様な色彩華やかな色づかいが特徴であるという(同、190-195)。模様について吉本は、中部ジャワ様式のジャワ更紗の模様には古い時代の伝統を継承しているものが多いという。模様の種類は多岐にわたっているが、ガリス・ミリン、スメン、チュブロック、タンバル、ニティック、イセンなどの模様に大別されるという(同、190)。一方北部ジャワ様式の模様は中部ジャワ様式と共通する模様も見いだされるという(同、190)。床の間の地袋、床脇の天袋の小襖については、地色が茶であり、模様が伝統的な要素である菱格子模様幾何形小花チュブロックであることからジャワ北岸様式の可能性も捨てきれないものの中部ジャワ様式の可能性が高いのではないかと考える。床の間の地袋の小襖の寸法は高さが約45cm、幅が左右ともに約90cmである。床脇の天袋の小襖の寸法は高さが約45cm、幅が左右ともに約90cmであり、その下半分の約23cm程度に使用されている。細長い形状であることから、胸布または腰巻または肩掛のパダン区画部分ではないかと推定する。床の間地袋の小襖の取手部分は同じ地色のボーダーの幾何形花(撫子)であることから胸布または腰巻または肩掛のボーダー区画部分ではないかと推定する。ボーダー部分ももとは同じ更紗であるとするとパダンとボーダーで構成されるジャワ北岸様式の可能性もある。上下には印金加飾されていない部分がある。吉本によると、腰巻は着用した際に表にあらわれる部分を中心に印金をほどこす、という。中部ジャワ様式腰巻の寸法はおよそ幅が100〜105cm、長さが230〜280cmであるという(同、138)。茶色地の伝統的な模様の腰巻の事例としては、チュブロック・ガンゴン模様があらわされた20世紀前半の腰巻がある(挿図9)。

挿図9_腰巻、ロウケツ染め、木綿 ジャワ島スラカルタ (転載『ジャワ更紗』、1996、26)

以上から茶色地パダン菱格子模様幾何形小花チュブロックの印金更紗についてジャワ中部またはジャワ北岸で制作された腰巻ではないかと考える。原型推定図を示す(挿図10)。

挿図10_茶色地パダン菱格子模様幾何形小花チュブロックの印金更紗の原型推定図 (筆者作成)


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