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ブックレビュー:『べつの言葉で』ジュンパ・ラヒリ

インド系アメリカ人であるジュンパラヒリは2012年にアメリカからイタリアへ移住した。40歳を超えてからの決断だ。

本エッセイはイタリア移住後に初めてイタリア語で書いた作品である。
僕はイタリア語を読むことができないから、日本語訳されたものを読んだ。ジュンパラヒリの深遠な洞察と謙虚なたたずまいは、デビュー作の短編集『停電の夜に』から変わっていない。文章やテーマから普段から考えを巡らせ、現象を一つひとつ自分の言葉に翻訳しているところを想像できる。
生きることは考え、文章を書くこと。あるいは生きるために考え、書いているのではないかと思わせる。ジュンパラヒリにとって書くことは呼吸することに等しいのかもしれない。

1994年に妹とはじめてイタリアを訪れた際にイタリア語に魅了されたという。本書でイタリア語との出会いは“雷の一撃”と表現している。
この旅行をきっかけに帰国後からイタリア語を学び始める。
両親がベンガル人で、幼少期は家族内でベンガル語を使い、学校に行くようになると英語が中心の生活を送っていた。
本書ではベンガル語と英語とイタリア語。この3つの言語がジュンパラヒリのなかでどう位置付けられているのかにも言及している。

翻訳者の中嶋浩郎は翻訳中に不自然な言い回しや意味が分からにくい文があったという。確かに、翻訳された文章にもぎこちなさが感じられるところがあった。
しかし、そのぎこちなさは頂上のない山を登り続けるように、イタリア語を悪戦苦闘しながら自分のものにしようとしてきたこれまでの道のりに思いを馳せることができる。
また、不自由な言葉を用いているからか文章に饒舌さがなく、心地の良いリズムで一文一文が刻まれている。昔から平易な言葉で書く作風だが、あちらこちらに伸び、繋がり、絡まりあった英語の回路を使い捨て、未開地を切り開き新しいインフラを整備したように、思考回路の脱線や寄り道、岐路での迷いが取り除かれたのか、文章がよりシンプルに感じられた。
それは単に分かりやすい、読みやすいという手軽な文章になったというのではなく、限られた言葉を駆使するなかにジュンパラヒリの想いがぎっしりと詰まっていて、むしろ読み手はその想いの重さを受け止めることになると思う。

イタリアに移住しても、ままならないイタリア語で書いていても、変わらず彼女が紡いだ文章が好きだ。何度でも読み返したいと思う数少ない作家の1人である。

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