冬来たりなば春遠からじ
3月4日から5日にかけて行われた櫻坂46の3期生お披露目イベント「おもてなし会」。
終演から今に至るまで、ずっと宙に浮いてるような不思議な気分。
どこか懐しいのに新しくもあるこの気分を、ずっとずっと待ちわびていた。
この感覚を、Twitterに流れる感想に共感しながら言葉にしようと今日までかかってしまった。
櫻坂46にとって冬と言えば、19年末から20年を想像する人が多いと思う。
解釈次第で如何様にでも言えるから、あまり期間の定義に意味はないのだけれど、私にとっては19年頭から22年末までは、長い長い冬に感じられていた。
箱には自分たちで作品を創り上げた経験のなかった2期生たちが残される。
再スタートを選ぶだけでも相当な覚悟が必要で、その上で彼女たちは再生の道、過去と現在を切り離さず進んでいく道を選んだ。
なんて大きな責任を背負って、覚悟を持ってステージに上がっていたんだろう。
組織の中で人には、大なり小なり役回りがある。
右も左も分からぬ状況で、2期生を支え続けた1期生。その結果、組織として自走できる状態になった1年目。
そんな2期生を支えた1期生の相次ぐ卒業。
ファン感情としては、功労者を蔑ろにされたくない。そんな気持ちを汲み取った数々の打ち手。
いかにファンを紐帯するか、守りに徹した2年目。
卒業生を送り出すことに割かれる時間、2期生にとって感謝と同時にもどかしくもあったかもしれない、なんて思う。
それでもグループの個性を模索しながら、2年目を走りきった。
とりわけ、外仕事に挑戦したり、バラエティが明るい雰囲気を超えて面白いと思うレベルになったり、できる範囲で最大限の努力が伝わる年だった。
2期生を中心とした櫻坂46は、少なくとも私にはこう見えていた。
18年末に加入してから、慮っては耐え主張せず、それでも笑顔は失わず、ステージ上では凛と立つ。
器用なんて言葉じゃ言い表せないくらい、高度なことを彼女たちは今なお実践している。
だからこそ櫻坂46は、傷みも悲しみも全部受け止めて、ときに寄り添い、笑い飛ばしてくれるような、そんな愛に溢れた土壌になったんだと思う。
冬来たりなば春遠からじ
寒くて厳しい冬が来たならば、暖かい春もすぐ目の前まで差し迫っていることを意味する言葉。
話をおもてなし会に戻すと、今まさに春の訪れを予感している。
あまりに長い時間、堪え忍ぶ時間があった。
グループとして現実を表現する、そんな特徴を持っているからこそ、過去を引き合いに出すのは特徴の1つかもしれない。
それでも、もう過去の整理は終わった。未練たらしい感情なんてほとんどのファンは持ってないだろう。
「嘘のような現実を表現する」グループから、人は誰でも夢を叶えられるそんな「夢物語を現実に変えていく」グループになっていく予感が止まらない。
3期生は良い意味で過去のコンテクストから切り離されている。
これからもきっと、悲しみに濡れ、傷つくこともあるだろうし、つまずき打ちひしがれることもある。
それでも1.2期生が張った根は、とても深く強固で揺るがない。
だからこそ、あのおもてなし会を観て、まっすぐに咲き誇る日がそう遠くないことをみんな予感している。何より、3期生たちは、希望に満ち、清々しい風を思わせる勢いがある。
1.2期生の耕した土壌に、3期生が温かな空気を運んだとき、どんな風に花が咲くんだろうか。
とにかく自由に、あなた達の「今」と「未来」を歌ってほしい。それは今よりもっと多くの人に届くはず。
傷みも悲しみも全部を知った冬の終わり。
これから始まる春の予感の話。
おしまい。
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