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第45話「潮彩の僕たちは宛てのない道を歩く」

商店街から離れた路地裏で、朋美は周りの目を気にしながら建物の闇へと消えた。その様子を、僕は同じように建物の影から見ていた。朋美はここで何をしていたのか?


これは、大人の災いが降りかかるきっかけでもあったーーーー


平日の店は静かなものである。夜九時を過ぎた頃、客なんて一人も居なかった。要するに、暇な時間がただただ無機質に流れていた。マスターなんて厨房の奥でうたた寝している。僕と朋美も話すことなく、単純作業の繰り返しでグラスを磨いていた。

僕はグラスの淵を見つめては、数時間前の場面を考えていた。僕の知らない朋美を見てしまった。確信はなかったけど、あれは間違いない。

だけど、朋美に限ってそんな行為をするなんて思えなかった。それでも考えれば考えるほど、人は疑ってしまう。


グラスを食器棚へ置いた音が聞こえた。すると、朋美が話しかけてきた。


「暇ね」と朋美が言う。


「うん」と僕が答える。


「今日は無口ね」


「うん」


考え事をしていたので、僕は無愛想に返事した。と言っても、数日前の僕と朋美はこんな風に会話もなかった。

あの日以来、僕らは慣れてしまったのだ。それでも朋美は、いやに静かな僕を気にしてるみたいだった。そんな視線をひしひしと感じた。


「煙草吸ってくるね」と朋美がこの雰囲気に耐えられなくなったのか席を外した。


「どうぞ」と僕は返事をする。


厨房を抜けて行く朋美の後ろ姿に、僕は頭から離れない想像が気になり始めた。今晩逃したら、僕は聞かずに終わる気がした。だから、朋美を追いかけた。

煙草を取りに更衣室へ入ったので、僕は扉をノックして反応を待った。小さな声で、どうぞと言った。僕が更衣室へ入ると、ちょうど朋美はロッカーから煙草を取り出していた。

そして、僕の顔を見て、何かーーーーと表情で表した。


「雛形さん、今夜アパートに行ってもいいですか?」


「なに、私とセックスしたいの?聞いたわよ。美鈴ちゃんと付き合ってるんでしょう。私は別に構わないけど、バレて大怪我するのは海野くんよ。あなたって、女にだらしないのね。まあ、別に良いけど」朋美はそう言うと、僕の横を通って更衣室から出た。


そんなつもりで言っていないので、僕は朋美のあとに続いた。

裏口から出て、朋美は煙草に火を点けて一服する。夜空へ溶けるように煙は浮かんだ。美味しそうに吸う朋美に向かって、僕は聞きたいことがあると言った。僕の言葉に、朋美は何かを考えたのか、どこを見るわけでもなく空虚な目をした。


「ここで話したら?それとも布団の中で話したい」と僕の方へ視線を移す。


「そうじゃない。今日、店へ来る前に見たんだ。雛形さんが店とは反対の路地裏へ行くのを……」


朋美は僕の言葉を聞いて、しばらく黙って煙草の先を見つめていた。この沈黙がいやに長く感じられる。その意味合いは、僕の思い描く想像をさらに最悪な方向へ思わせた。

でも、きっと朋美は違う。そんな思いも頭の中で駆け巡っていた。


「良いわよ。今夜会いましょう」と朋美は乾いたような声で言った。


そして、煙草を投げ捨てると僕の方を一度も見ることなく、早足で裏口から店内へと行った。煙草の吸い口が赤く点滅して燃えていた。

僕はそれを踏みつけて、一人残された夜空の下で無意識に深い溜息をするのだったーーーー


星一つない夜空に浮かぶ満月。かろうじて付け合わせみたいな雲が手前で漂っている。店を出てから朋美のアパートへ向かう途中、朋美は一言も喋らなかった。

明らかに雰囲気は違っていたし、妙な胸騒ぎだけが聞こえていた。住宅街も妙に静かな空間を作り上げている。満月に照らされた二人の影は、けっして交わることはなかった。


部屋に入るなり、朋美は冷蔵庫から缶ビールを二本取り出した。飲むつもりはなかったけど、朋美は少しぐらい付き合いなさいよと言うので、断ることもできずに缶ビールの蓋を開けた。

つまみにクラッカーとチーズ。朋美は決まって、このセットを出した。殺風景な部屋にテーブルだけが置かれている。

布団が隅っこで積まれていた。相変わらず、この部屋は一人暮らしの寂しさが漂っている。僕は落ち着かない感じで床へ座った。


「ねえ、冷凍ピザでも食べない?」と朋美が聞いてきた。


少し小腹が空いていたので、僕は頂くと言い返した。まだ雰囲気は妙だったし、少しぎこちなく僕らの影は交わらなかった。

電子レンジの動きが止まったとき、朋美は皿にピザをのせて僕の正面へ座った。


「食べながら話しましょう。変に意識されると気分が良いものじゃないわ」そう言って、朋美はビールを飲んだ。僕もつられて喉を潤すつもりで、ビールを胃に流し込んだ。


「それで、海野くんはどこまで聞きたいの?」と朋美が訊ねる。


「どこまで聞くと言うか、見たまでのことを正直に言うよ。雛形さんが間違った道を歩いていないと信じて……」


「間違った道。どういう意味なのかしら?」


「あの日、君は雑居ビルの中へ入ったよね。それから地下の駐車場へ階段を使って降りた。僕はそのとき、後ろからつけていたんだ。君は目的が決まってたみたいに、数台停まっていた車から離れた場所へ近づいたよね。そしてたら一台の車だけが、離れた場所に停まっていた。まるで、誰かに見られないように。君も周りを気にしてる感じだった。君は車に近寄って、運転席の窓ガラスを叩いて合図を送った。ここまでは間違いないよね」そこまで言うと、僕はやけに渇いた喉を潤そうと、ビールを一気に飲み干した。


緊張しているせいもあったからだ。


「もう一本飲みなさいよ」と朋美は缶ビールを開けて、僕に手渡した。


「それから?」と朋美はクラッカーを齧った。


「運転席に座っていた人は見えなかったけど、その人物は窓を開けて、君に紙袋を渡した。そして、君は何枚かのお札を手渡した。そしたら、その場から車は走り去った。あれって、もしかしたらドラッグなんじゃ」と僕は話しを終えた。


「それが聞きたかったことなの。私が売人から薬を買ってると言いたいの。だったら、海野くんはどうしたいの?警察を呼ぶ?それとも……」


「もしそうなら、僕は君を止めるよ。雛形さんが薬でおかしくなる姿なんて見たくないよ」


沈黙が流れた。


朋美はなんて答えるのか?


隙間の存在しない空虚だけが、僕らの影を見透かすように見つめていた


第46話につづく

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