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第51話「世の中はコインが決めている」

 もうすぐ季節は夏になる。それでも六月の夜は冷え込む季節でもあった。夏が来る前に梅雨もやってくる。梅雨の時期は仕事が何故か暇になることが多かった。理由はわからないけど、生産自体が少ないのだ。

 「どうしたの。何か考えごと?」と狛さんがキッチンから話しかける。

 「明後日まで休みなんですが、仕事が始まると考えたら憂鬱で」

 「仕事があるってことは恵まれているの。世の中には定職に就けない人も多いんだから。さあ、できたわよ。食べましょう」

 予想通り鍋だったけど、少しだけ部屋の中が寒かったのもあったので鍋は正解だった。一人だと鍋なんて食べる機会がない。狛さんもそうかもしれない。旦那さんが居ないんじゃ。

 二人っきりで鍋を突き合う。缶ビールも飲みながら、僕たちは母のことやお互いのことを話し合った。二人の距離感は一気に近くなり、親身に相談できる仲になれそうだった。

 弓子さんの件もあったので、正直言って寂しかったのは間違いなかった。

 雑炊を食べ終えて、僕は我が家みたいにソファでくつろいでいた。殺風景な僕の部屋と違って、狛さんの部屋は落ち着く。

 調子に乗って、三本目の缶ビールを飲んでいた。そこまで酒は強くなかったので、かなり酔いはまわっていた。

 「はじめくん、なんかアテがいるんじゃない?」と狛さんが訊いてきた。

 「そうだなぁ。酒のアテと言えば、枝豆とか良いかもしれない」と僕はすっかりタメ口で喋っていた。

 すると、狛さんがエプロンを外してこっちに来た。鍋を食べていたので、ブラウスを脱いでキャミソールという格好になっている。狛さんは酒に酔っているのか、目が少しだけトロンとしていた。

 悩ましい目と言うか、妖艶な雰囲気を感じた。

 ソファに座っている僕のそばへ近寄ると、視線を僕に合わせて笑う。そんな狛さんの表情を見て、僕は可愛らしいと思った。

 「ねぇ、こんなアテはどう?」と狛さんが言った瞬間、手を伸ばして僕の頬へ触れた。

 不意打ちのキスだった。一瞬だけ触れた唇が離れたあと、もう一度唇が触れた。重なり合う唇から舌を無理矢理忍ばせる。息をしようと、僕は唇を開いてキスを続けてしまった。

 唇が離れてキョトンした僕を見る目。完全に狛さんの顔が火照っている。

 いや、火照っているのは僕の方かもしれない。見つめ合いながら、狛さんは口許に笑みを浮かべていた。こんなアテはどう?ーーなんて言ったけど。

 「ずっと一人だと寂しいの。ねぇ、わかるでしょう」狛さんはそう言って、キャミソールの肩紐を肩からズリ落とした。

 するりと滑り落ちる肩紐。下着を着けていなかった。小ぶりな乳房が露わになって、僕の瞳に妖艶な表情が豊かに花を咲かせた。

 もう言葉なんていらなかった。僕は狛さんを引き寄せると、唇を重ねては求めた。

 数分後、部屋の明かりは消えて、夜に蠢く性の奴隷となっていた。

第52話につづく

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