第2話「蛇夜」

会社の同僚たちが次々と帰った後、私は一人残業をしていた。節電の為、自分のデスクの上だけ照らして、残りの蛍光灯は消されている。誰も居ない社内は驚くほど静かで、自分の息遣いだけが耳に聞こえていた。


残業をする羽目になった理由。それは昨夜の出来事が関係していた。蛇口から何十匹という蛇が発生した。世にも恐ろしい光景だった。脳裏に焼き付いている。身体に触れた感触は今でも思い出せることができる。ヌメッとした鱗の感触に爬虫類特有の冷たさも感じた程だ。


だけどあの後、大量の蛇が何処へ行ったのかは謎である。私は素っ裸のまま気絶してしまったからだ。目が覚めたとき、蛇の姿は見当たらない。

私は慌てて風呂場から出ると時計を見た。時刻は午後になろうとしていた。結果的に早朝の会議に遅れるは、遅刻してしまうは、とにかく最悪な一日になってしまったのだ。


お陰でこうして一人残業をすることになった。


自慢じゃないが、会社では真面目で仕事熱心な女子社員だと思われている。だから遅刻する事自体に驚いていた。上司から珍しいこともあるもんだと、さほど怒られることはなかった。

でも、せっかくの花の金曜日が台無しである。同僚たちは夜の街へ繰り出したようだが、私のことを飲みに誘うことはない。


私なんて所詮、婚期を逃した哀れな女子社員としか認識されていないからだ。ここ最近、飲みに誘ってくれる社員は一人も居ない。一人で残業しようが、誰からも見向きもされないのが現実なのだ。

花の金曜日と言っても、正直なところ予定はない。だからそれほど残業は苦ではなかった。


それよりも気掛かりなことがある。昨夜の蛇事件。結局あの後、部屋中を隈なく探してみたが、一匹も蛇は現れなかった。形跡さえ見つからない。だけど、あれが夢とか幻とは思えない。確かに蛇口から何十匹という蛇が飛び出して来た。

明日でもマンションの管理人に連絡してみようか。築年数はそこそこ経っているが、内装はリノベーションされて小綺麗なマンションなんだけど。


全くもって不可思議な現象である。


デスクのデジタル時計を見ると午後九時を過ぎていた。私は一人という事もあって躊躇なく煙草に火を付けた。

本来、社内は禁煙だったけど、誰もいなけりゃ問題ない。深く煙を吸い込んで頭上の蛍光灯に向けて煙を吐いた。

明日は何しよう。部屋の掃除をしようか?もしかしたら蛇の一匹や二匹出て来るかもしれない。それはそれで嫌なんだけど。


嗚呼、今頃同僚たちは居酒屋で盛り上がっている頃だろう。ここ何年、居酒屋なんて行っていない。地元を離れてから数十年、ここ東京で友達という友達はいない。つくづく寂しい女。容姿が良ければそれなりに楽しい人生を歩めた筈。

いや、性格に問題があるかもしれない。癖で自問自答を繰り返しては答えのない問題を解こうとしていた。


刻々と時間は過ぎ去り、パソンコ入力が終わったとき、私は給湯室でコーヒーを淹れようと席を外した。コーヒーを飲んだら帰ろう。そしたら深夜スーパーに寄って大して美味くない弁当でも買おう。


給湯器のお湯を確認してインスタントコーヒーに手を伸ばす。その時、私の視界に赤っぽい何かが目に入った!?


なんだろうと、赤っぽい何かを手に取った。付け爪のような形をした赤っぽいモノ。よく見ると、それが付け爪じゃないことに気づいた!


えっ!これって!?


インスタントコーヒーの瓶の横に落ちていたモノ。それは付け爪でもなく、何か魚のような鱗だった。さらに赤っぽく見えたのは、グロスのような色合いだったけど、明らかに血の色と思われる。私は無意識に流しの中へ投げ捨てた。


気持ち悪い。なんてものを触ってしまったのだろうか。ステンレスの中でその奇妙な付け爪っぽいモノを睨みつけた。私は給湯室から逃げ出すように走り出した。誰かの爪ではない。あれは何か得体の知れない生き物の鱗だ。


もう帰ろう。コーヒーなんて家に帰ってから飲めば良い。もう仕事なんて切り上げて帰宅したい。その気持ちで一杯になった。自分のデスクに戻り、私はパソコンの電源を消した。そしてデスクの上に置いていた会社の鍵を手にしたときだった。


背後で突然、扉の開く音が聞こえた。思わず小さな悲鳴を出してしまう。振り返るのも怖い。昨夜の恐怖と種類の違う恐怖感が肌を刺激させる!


だ、誰か居るの?


心の声も震えて、私は恐る恐る背後に迫って来る者を確かめようとした。


第3話につづく

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