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第8話「黒電話とカレンダーの失意」

 秋の夜長、僕は買っておいた煙草に火をつけてベランダで一服した。遠くの家から出しっ放しの風鈴がチリンと鳴っては、遠くの方で夏の蝉が鳴いているような錯覚を感じる。

 この街で生まれて僕はずっとこの街に住んでいた。特に地元が好きというわけでもなかったけど、かと言って街を出て一人で暮らす余裕もなかった。

 そんな勇気さえなかった。

 だけど、この街が嫌いとは思っていない。夜になると静寂に包まれる街並みが好きだ。こんな風に秋の夜長を過ごすには、うってつけの静かさが漂っていたから。

 一度だけ街を出て、違う土地で暮らしたいと思ったことがあった。それは三年前の姉さんの死がきっかけである。

 それを止めたのは友人の平家だった。そのとき、僕は姉さんが平家に頼むとお願いしたと思った。僕だけ残して、死んでしまった姉さんが平家に託した置き物(僕)みたいなもんだ。それに関しては感謝しているが、本音は複雑な気持ちだった。

 僕はこの先、一生誰かに見守られながら生きなきゃいけないのかって……

 空き缶の中へ煙草を捨てたとき、少しだけ眠気が襲った。小さなあくびをしてベランダからアパートの庭を見下ろした。

 すると、夕方過ぎに出会った猫が庭先へ遊びに来ていた。不思議な偶然で、僕と赤い首輪を付けた猫が同時に目を合わせた。この暗い中、僕の姿が見えるのか、僕に向かって赤い首輪を付けた猫が鳴いた。

 そして、僕の耳に遠くの方から梟の鳴き声が聴こえたんだ。その瞬間、僕の頭の中で彼女の姿が浮かんだ。そう言えば、あの人と出会ったとき、僕の後ろから現れたっけ。あのときは何も思わなかったけど、僕が神社を訪れたとき、境内には誰も居なかった。

 だったらあの人は、どこから現れてどこに居たのだろうか?

 もしかして、彼女は幻なのか……

 そんな事はない。僕と彼女は少なからず会話を交わした。それに、最近この街に引越して来たと言っていた。考えれば考えるほど、僕は彼女のことが気になり始めた。

 無意識に立ち上がると、あの夜みたいに部屋着のままで玄関へと向かっていた。

 僕は何かを探し求めるように、秋の夜長が漂う住宅街へと出掛けるのだった。目的は彼女と出会った神社である。

 神社へ続く石階段が見えたとき、僕の背後で誰かの気配を感じた。

 振り向くと、さっきまで庭に来ていた赤い首輪の猫が後ろからついて来ていた。これも何かの縁なのか、僕は猫に向かって、「君もおいで」と呟いてから石階段をゆっくりと上がるのだった。

 今宵、秋の夜長はいつもより静寂に包まれていた。僕の鼓動と合わせるように、林の中から梟の鳴き声が聴こえていた。

 第9話につづく

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