見出し画像

第52話「潮彩の僕たちは宛てのない道を歩く」

「海ちゃん、また今度ゆっくり会いましょう」と千夏先生は公園の出口で言ってくれた。


そして、僕らはそれぞれの帰り道へ向かって歩いた。先生の方から連絡先を教えてくれたので、また会える嬉しさが心にあった。千夏先生の顔を思い返しては、あの頃よりも美しい大人になったと思った。

もっと話したい気持ちもあったけど、こうして再び繋がりが出来ただけでも十分だった。僕は歩きながら、腕時計で時間を確認した。時刻はちょうど零時を過ぎたばっかりだった。

美鈴は起きているのか。そんなことを考えて、僕は腕時計から視線を前に移した。すると、目の前にあの子が立っていた。

ポニーテールの似合う女の子。僕の知っている女。きっとそうに違いない。だから、僕は彼女に向かって、こんな風に聞いたんだ。


「君は、長谷川千夏だろう」


『そうね。長谷川千夏でしょうね。だったら、後ろの子は誰なのかしら?』


後ろの子?彼女にそう言われて、僕は後ろを振り返った。暗闇の中から誰かの足音が聞こえてくる。そして、段々と僕の方へ近寄って輪郭が浮き上がるように見えてきた。

僕の姿を見て安心したのか、安堵の表情を浮かべた千夏先生が瞳に映った。次の瞬間、僕は後ろにいたポニーテールの似合う女の子が居なくなったことを確信した。


「良かった、間に合ったみたい。海ちゃん、今から少し時間はあるかな?」と千夏先生が言った。


「大丈夫ですよ。僕も話したかったし先生と一緒に居たいです」と素直な気持ちで言葉を返した。


それから僕たちは、夜の公園を再び歩いた。夜風が心地良く吹いては、僕の気持ちを押すみたいだった。

そして、満月を見る振りして、僕は後ろの風景を見つめた。やっぱり、ポニーテールの似合う女の子の姿は消えていた。

潮彩の僕たちは宛てのない道を歩く。僕はその言葉の意味を、夜の景色へ重ねては千夏先生の横顔に揺れていた。


大人の災いは、今夜にも答えが出るだろう。少なくとも、僕の願望の世界と現実の世界はひとつに繋がるのだ。


疲れた顔をした千夏先生が、僕の肩へ頭を乗せた。


「少しだけそのままで」と小さな声で呟いた。まともな顔をしているのは僕だけ。静寂すぎる図書館は、安らぎを与えてくれる。千夏先生が言った言葉だった。

それでも心の寂しさは埋まらない。先生は寂しそうな表情で、女の色気を漂わせた。それは僕の心を揺らした。ポニーテールが揺らしたわけじゃないんだ。

心のどこかで、こんな風になることを望んでいたのだろう。


きっと……


どうして僕たちは出会い、男と女の関係を複雑にしてしまったのか。それは寂しさの寒さと先生は言った。静寂すぎる図書館へ入った瞬間、先生は突然泣き出した。僕は戸惑うばかりで何もできなかった。

先生は僕の肩へ頭を乗せた。しばらく泣いていた。鼻をすすって目元を赤くしていた。そして、ようやく落ち着いたのか、僕の方へ顔をあげて話し始めたーーーー


「ごめんね。私から誘っといて。いきなり泣き出すんだもん。ホント困るよね。何でもないの。ただ寂しさの寒さが襲っただけ」


「寂しさの寒さ?」と僕は聞き返した。


「意味わかんないよね。海ちゃんと久しぶりに出会ったら、なんだか懐かしさと哀しみが積み重なったのかな?ごめんね。もう大丈夫だから」と千夏先生は肩から頭を離した。


「先生は大人の災いを今も感じているんですか?僕たちはルールを破っています。だから、僕たちはこの先の未来は、いや、潮彩の僕たちは宛てのない道を歩く。先生が教えてくれた言葉。それだけが当てはまっているような気がするんです」


「そっか、海ちゃんは大人の災いも覚えていたんだね。だったら、私と一緒かな。大人の災いは必ず降り注ぐわ。それがどんな形であっても、正面から受け止めないといけない。だから、私は心に病を抱いてるの。潮彩の僕たちは宛てのない道を歩く。それだけが、私の心の支えかもしれない」


「先生を一人にしない。僕でよければ、いつだって支えになりたい。先生の言う寂しさの寒さだって、僕がぬくもりに変えてあげるよ」僕はそう言って、先生を抱きしめてあげたかった。


だけど、どこかで躊躇する自分もいたんだ。もしも、これから起こりうる出来事が大人の災いならば、今の僕は踏み込んではいけないのだろう。

それが、僕にできる精一杯の我慢だった。千夏先生の涙の理由を知りたい。心の声が僕に囁いた。それは願望の世界と、現実の世界が繋がることかもしれない。


僕たちはそのあと、何も起きることなく時間が流れるままに過ごした。

大人の災いは願望と現実の狭間に生まれる。それだけが、僕の優柔不断な心に突き刺さっていた。僕たちは宛てのない道を求めるように家路へと帰るのだった。


今度いつ会える?


そんな言葉を最後に交わしながら……


第53話につづく


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?