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第1話「蛇夜」

食っては寝る生活が続く毎日。高級メロンが腐っては、腐敗臭に小蝿が集合して部屋中をドローンみたいに旋回してる。

そんな部屋の状態を見られたら、きっとあの人は幻滅して私の元から離れるに違いない。そんなことわかってるなら部屋の掃除ぐらいしなきゃ。

笑われるのは気にしないけど、幻滅されるのは辛い。人間としての価値も下がって、嗚呼、そんな人間なんだと決めつけられるでしょう。割り切って付き合える訳でもなければ、偽って付き合った方が楽だと。それこそメッキが剥がれたとき大変だと思うけど、私的に楽と思えてしょうがない。


嗚呼、私はなんて歪んだ女なんでしょうか。


壁に掛けられた秒針のない時計を眺めると、時刻は夜の十時を過ぎようとしていた。お風呂に入るのが億劫な時間帯だ。本音はサッとシャワーを浴びてしまいたい。そんな気持ちと裏腹に重い腰は上がらない。体型のせいかもしれない。そんな言い訳を自問自答しては醜い下っ腹の膨らみを触った。


明日は朝から会議。早く寝た方が良いに決まってる。わかっているけど行動に移せない。基本的に面倒くさがりやなのだ。足元の書類を手に持ってソファへ寝転ぶ。これでますます風呂への道のりが遠くなった。深い溜息をついて、書類に目を通すが思考停止状態なのか、明日の会議の内容が頭に入らない。どうしても考えてしまうのは、あの人のこと。

あの人の仕草や笑顔など。喋り方も想像しては声に聞き入ってしまう。細身の身体だけど筋肉質の腕に興奮する。
気だるい朝、あの童顔の笑顔は癒される。彼のスマートなスーツ姿は会社の中で一番人気だ。

歳は三十代前半と脂の乗った仕事勝りの年齢。若い女子社員からモテて当たり前である。注目の的で仕事も出来て将来、今の地位から上り詰めて出世するだろう。


みんな思っている。もちろん私も……


あの人のことを考える。あの人のことだけ考える。それだけが私の人生で一番の至福でもあった。読んでも頭に入らない書類に飽きた頃、私はようやく重い身体を起こした。書類をソファに投げ捨て、私は上下のスウェットを脱ぐと下着姿のまま浴室へ向かった。


下着を外して洗濯籠へ投げ捨て、少しカビ臭い浴室へ足を踏み入れる。タイルの壁に湯垢や黒カビがごっそりこびり付いているのが目に入った。半年くらい掃除をしていない為、浴槽の底には赤カビがバターを塗ったように付着していた。


そんなこと気にしてる場合じゃない。その前に脂の付いた顔を洗おう。汗っかきな体質に脂症なので、洗顔だけは必ず怠らない。だったら風呂掃除もすればと言われそうだけど。

きっと、こんな汚い浴槽を見た人は必ず言うだろう。


昔から解決もしない自問自答をするのが癖だった。解決することを願っているのか、それとも願っていないのか、自分自身でもわかっていない。

大学を卒業してから入った会社へ二十年以上勤めている。新人だった頃の記憶が曖昧になってきた。同期の女の子は結婚して退社。そんな場面を何度見ているのか。普通に生活するには充分な給料を貰い、悠々自適な独身生活をしている。周りからはそう思われている事くらい理解してる。


だが反対に、この歳まで売れ残りの寂しい女だと思われているのだろう。


無意識に溜め息を零す。脂だらけの顔を拭っては、消えた家族のことを考えた。プラスチック製の椅子に座り、剥離処理をしないと見えない鏡に向かって顔を見つめた。団子鼻で奥二重の二重アゴ。自分でもブサイクな顔だと思う。これでは一生独身だろう。


二度目の深い溜め息のあと、私は蛇口からお湯を出そうとした。レバーを下げて蛇口の下へ手のひらを出す。すると空気が抜けたような音と共に、蛇口の先から何かが一瞬だけ覗いた。


赤茶けたような物体が見えたような。いや、一瞬だったからよくわからないが確かに蛇口から得体の知れないモノが見えたのだ。さらにお湯が出てこない。昨日の夜、普通にお湯は出ていたけど、急に壊れるものなのか?

そう思った次の瞬間、蛇口から勢いよくお湯が出てきた。空気の抜ける音と共に勢いよく出るお湯に驚いて、私は椅子から滑り落ちそうになった。慌ててお湯を止めようと、レバーに手を伸ばしたとき、蛇口の先が上下に揺れて先端からお湯と一緒に赤茶けた細長いモノが飛び出してきた。

その細長いモノを見た瞬間、私は目を大きく開いて椅子から滑り落ちることになる。次から次へと赤茶けた細長いモノが蛇口の先から飛び出す。

尻餅をついた私の周りに、その細長いモノが取り囲むように流れてくる。私はそれが赤茶けた蛇だと気づいた。


まさか蛇口から何十匹という蛇が飛び出してくるなんて、誰が想像できるだろう。それは恐怖の光景でしかない。床に倒れこんだ私の股の間や腕へと赤茶けた蛇は、うねるようにして這いつくばる。


あまりの恐怖に腰が抜けて動かない。


真夜中の浴室で、私は生まれて初めて気絶するのだった。


第2話につづく

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