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第51話「潮彩の僕たちは宛てのない道を歩く」

博物館の前を通って、僕の予想通り彼女は静寂すぎる図書館の前で立ち止まった。


『静寂な場所へ』なんて言っても、すでに図書館は閉館しているだろう。それでも彼女は僕の手を握ったまま、こっちよと、裏手の方へ引っ張った。

どうするのか?僕の鼓動は胸の内側で鳴り響いていた。冷たい風が彼女のポニーテールを揺らして、僕の心をくすぐってるみたいだ。

静寂な場所とは何処なのか。暗闇が包む裏手へ彼女は普通に突き進んだ。電灯もない通路が、僕に不安と恐怖を味あわせてくれる。それでも好奇心が止まらないとき、人は暗闇の向こう側に対して恐怖を無くす。

胸の内側から叩く鼓動が落ち着くと、彼女は立ち止まって僕の顔を見た。


『静寂な場所はこの中にしか存在しない。誰にも邪魔されないのよ』そう言って、彼女は暗闇の中へ手を伸ばした。


何かを掴んだ瞬間、僕の目の前で浮かび上がるように扉が現れた。それは月の角度が変わって、見えなかった扉を月明かりで照らしたからだった。

開けれるわけないと思った。たぶんここが図書館の裏口だと理解したけど、幾ら何でも彼女に開けれるわけないんだ。そう思ったが、彼女の掴んだドアノブは音もなく開いた。


「嘘だろう!?」と思わず口に出して声を出す。


『さあ入って、静寂な場所へ行きましょう』と彼女は僕を促した。


扉の向こう側は冷たい空気に包まれていた。そして、僕は誘われるように一歩ずつ踏み出した。扉は再び、音もなく閉まったーーーー


次の瞬間、後ろを振り向いたら彼女の姿は消えていた。暗転して、非常灯が扉の真上で小さな明かりを灯した。

僕の目に映るのは、ただ無機質な扉だけだった。彼女はどこへ行ったのか?僕と一緒に入らなかったのか?息を潜めたまま、ドアノブに手を置いた。

そして、ゆっくりとドアノブを廻そうとした。すると、突然背後から誰かの声が響いた。


「誰!?誰か居るの!!」


僕は背後の声を聞いて、ドアノブから手を離した。その声に、僕は聞き覚えがあった。

声の正体は僕の初恋の人、千夏先生だった。非常灯の灯りの下、僕と千夏先生はしばらく声も出さずに見つめ合った。潮彩の僕たちは宛てのない道を歩く。僕の生きる道が少しずつ、ゆっくりと見えようとしていた。

しんとした雰囲気が、夜の図書館に漂っている。千夏先生は僕に向かって待つように言った。薄明かりの電灯だけだと、昼間来たときと違う雰囲気を感じさせる。

中央の円卓のテーブルで、僕は腰をかけて待った。千夏先生は何も言わなかった。迷惑そうな顔もしていなかったけど、僕の突然の訪問に驚きはしていた。


それはそうだろう。千夏先生は一人で図書館を閉めて帰ろうとしていた。そんなとき、僕が裏口から現れたら動揺するに決まってる。だけど、先生は僕だとわかると図書館の中へ通してくれた。

内心、千夏先生で良かった。もしもこれが他の人だったら、警察に通報されてもおかしくなかっただろう。


「海ちゃん、先生に説明してくれるかしら?」と薄明かりの中、千夏先生が戻って来た。


千夏先生は覚えていたんだ。僕のことを、あの頃と同じように海ちゃんと呼んでくれた。僕は大人時代から、青春時代に戻ったような気がした。


僕の嘘みたいな話しを、千夏先生は静かに聞いてくれた。場所が静寂すぎる図書館だったので、僕は無意識に声を潜めて話した。すると、千夏先生が少しクスッと笑って、僕の顔を真っ直ぐに見つめた。

かなり動揺した。その理由は、僕が話した見知らぬポニーテールの女の子と関係していたからだ。


それは、千夏先生が図書館の制服から私服へ着替えたとき、起きた出来事だったからである。

あの見知らぬポニーテールの女の子の格好は、淡いブラウスにチェックのスカートを履いていた。そして、千夏の格好は同じく淡いブラウスにチェックのスカートを履いていたのだ。

つまり、全く同じ格好。これは大いに大問題である。


彼女が僕の前から消えた理由。それは千夏先生が現れたから?そんな嘘みたいなことがあるだろうか。だけど、僕の話自体、嘘みたいな話だったーーーーそれでも僕の中で、一つの考えが頭から離れることはなかった。

見知らぬポニーテールの女の子は千夏先生であり、千夏先生は見知らぬポニーテールの女の子である。要するに、彼女たちは同一人物であって、同じ場所に存在しないと。


「先生は教えてくれた。僕と桃香に大人の成人式の存在を。だけど、僕らはルールを破りました。ルールを破って参加したんです。先生は言ってましたよね。ルールを破るものには大人の災いが降り注ぐと……」僕は話し終えると、先生の言葉を待った。


但し、あの見知らぬポニーテールの女の子が千夏先生なのではないかという可能性については口にしなかった。

何故なら、現時点ではそれについては確証がないからだ。


「覚えていたわ。君と桃香ちゃんに大人の成人式を教えたのは確かに私だった」と千夏先生は遠くの闇を見つめるように言った。


私だった?先生の私だったという言い方に、僕はなんとなく引っ掛かった。何故なら、私だったという言い方に違和感があったし、普通なら私だと言うべきだろう。

なのに、先生は私だったとあえて僕に言ったような気がした。先生は何かを隠している。僕らに言えない秘密を隠し持っている。


「先生、僕と桃香は先生に教えてもらったから、大人の成人式へ参加したとは思っていません。あくまでも僕らは興味があって参加したんです。だからルールを破ってでも参加したかった。あれは、あの大人の成人式はなんだったんですか!?」


「正直な感想を言うとね。二人があのとき、私の話したことを覚えていたのに驚いたわ。当時、二十三歳だった私は、冗談半分で話したと思うの。まさか、五歳の男の子と女の子が覚えているなんて考えもしなかったわ。ホントに参加するなんてね。海ちゃんと桃香ちゃんは、私の話しを信じて参加した。だけど、私から言えるのは真実とは少し違うと思うの。私も大人の成人式に参加したけど、私もルールを破っていたの。だから、あの体験がなんだったのか、私でさえわかっていない。もしかしたら、君たち二人に確かめて欲しかったかもしれないわね」千夏先生はそう言って、立ち上がった。


そして一言、図書館を閉めると言い出した。


何も答えになっていない。だけど、心の中で思った。千夏先生は僕らに答えを求めていたんだと。だが、その願いは叶うことがなかった。

僕たち二人も、結局はルールを破っていたからーーーー


こうして何もわからないまま、僕と千夏先生の話しは終わった。そして、満月が浮かぶ空の下、僕たちは夜の公園を歩くのだった。


第52話につづく

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