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第25話「潮彩の僕たちは宛てのない道を歩く」

扉の音が合図かのように、目の前で降り落ちる雪は音もなく消えた。ストップモーションを見ているようだ。空間がねじ曲がった屋上に、雪は音もなく落ちると僕の思考回路を止めた。

嘘みたいに止んだ雪。辺りは絶対的な静けさに包まれた。空を見上げては、灰色の境界線の行方を探した。唐突に雪雲は消え失せて、カーテンを引くように雲は左右に別れた。

僕たちの訪れを出迎えた訳ではなく、すでに訪れていた大人たちへ気付いたからだ。


大人の成人式は始まっていた。


だけど、気づかない僕たち。扉の閉まる音に灰色の空は気づかされたのだ。僕がそのことに気付いたとき、目の前に恐怖とは違った光景が目に映った。奇妙な光景だったし、静寂すぎることが気になった。それでも僕の目に映る光景は、奇妙な寒気を感じさせた。

僕の言いたい恐怖とは異なる恐怖である。


降り積もった一面の雪。屋上に真っ白な絨毯が敷かれたようだ。僕らの足跡が消えるほど積もった雪。そんな真っ白な絨毯に残る奇妙な足跡。その奇妙な足跡は、屋上を囲む柵まで続いていた。

そして、驚いたことに柵まで続いていた足跡の真上。柵の前で止まった足跡の真上に見えた光景に驚いたのだ。


「海ちゃん……」と桃香が呟いた。その言葉の意味に、僕はなんて答えたら良いのだろうか。


見たまでに説明すると、足跡から真上の空間に吐かれた白い息であった。僕らと同じように吐かれた白い息。つまり、何もない空間から白い息が見える状態だった。

もっとわかりやすく言うと、要するに透明人間がそこに立って、いかにも寒そうに息を吐いているのだ。

僕も桃香も誰にでも、そこに立つ人物は見えないだろう。わかると言えば、あまり大きくない足跡と呼吸する白い息だけだった。

息を吐く方向で、僕から見て横向きだと予想できた。いや、足跡の向きだって柵に向かってつま先が向いている。従って、建物に隠れた僕らの位置からは横向きなのである。


奇妙な光景が五分くらい続いたあと、継続的に吐く息がぐるりと向きを変えるように動いた。風のない屋上で白い息がスライドしながら流れる。

僕はとっさに、桃香を後ろから抱いたまま、揺れ動く白い息から見えない位置へ隠れた。ルールに従ったままである。あの見えない相手は、大人の成人式に参加している大人だと判断したからだ。


僕らの方向をしばらく見つめているのか、揺れ動く白い息だけが、空間に継続的な息づかいを光景として映し出していた。煙を吐く煙突みたいに、吐き出される白い息……


その奇妙な光景は、さらに奇妙な光景を僕たちへ見せるのだった。真夜中に開催される大人の成人式。それは、姿形の見えない大人たちが参加する成人式。

僕たちは言葉を忘れたように、その奇妙で不可思議な光景を見つめていた。


歪んだ空間へ反響するように声が響いた。その声を聞いた瞬間、特徴のないぼやけた声に聞こえた。これと言って心地良い声じゃない。とにかくぼやけた声に聞こえた。

一度聞いたら忘れるほどの声なのだ。話し方かはゆっくりで、耳をしっかり傾けないといけないぐらいだった。それはもう、ホントにぼやけた声と言ってもいいだろう。


『今夜は寒い。屋上は……』と白い息からぼやけた声がする。


不思議と静寂に包まれた屋上で響いた声。まるで、僕たちに話しかけてるみたいだ。そのとき、桃香が何を思ったのか、僕の腕を掴んで目の前に一枚の紙切れを差し出した。

紙に書かれた細い文字。目を通して、僕は後ろから桃香に頷いた。書かれた内容は、『一階へ降りてみよう』だった。


目に見えない大人が発した言葉は、『今夜は寒い。屋上は……』。

つまり、今夜行われる大人の成人式は屋上じゃないという意味だった。それにしても、桃香がきちんとルールを守ってることに驚いた。

参加者は誰とも話さない。だから、用意してたのか、紙に内容を書き出したのだ。きっと桃香は、あらかじめ用意していたのだろう。


見えない大人は僕らに伝え終わると、向きを変えて扉へ向かった。柵からUターンする形で足跡は来た道を戻って行く。

ザッザッザッ……と雪を踏む音。もう一度声を聞きたかったけど、あの一言を最後に声は聞こえなかった。

あのぼやけた声は、僕に奇妙な響きを与えたーーーー

私の知ってる女の子と、顔の見えなかった男の子は、何かを警戒しながら歩いていた。扉の閉まる音はなんだったのか?私からは何も見えなかった。

どうやら、この不思議な現象を知るには、あの二人について行くしか方法がない。物陰から肩を寄り添って歩く二人。私はさっきから、ずっと二人の覗きをしてるみたいだ。

二人はきっと恋人同士なんだろう。じゃないと、あんなことはしない。


扉の閉まる音が聞こえてから、私はしばらく物陰から動かなかった。今すぐ扉の向こうへ行ったら、もしかして二人が立ち止まっている可能性があったからだ。

目を瞑って時間を潰す。体内時計で時間を計って、一秒一秒と刻んでいく。心の声で数字を数えると、鼓動の音も一緒に数えてるみたいだ。

そして瞼を開けて、私は雪の上をゆっくりと歩き始めた。


ザッザッザッザッザッザッ……と。


冷たいドアノブを回して、私は冷気と一緒になって屋内へ足を踏み入れた。真っ暗な闇が谷底へ続くような階段。直角に曲がった向こう側は、墨のように黒かった。

屋上と雰囲気は変化していた。違っているとしたら、階段の下から甘い匂いが漂っている。私はこの匂いを知っていた。大人の成人式はすでに始まっていたのだ。


私は意を決して、闇の道が続く階段を降りた。静寂すぎるのか音は闇の中で潜んでいた。


第26話につづく

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