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第46話「潮彩の僕たちは宛てのない道を歩く」

真相を語る前に、朋美は自分の生い立ちを話し始めた。僕はそれを聞いたとき、朋美と僕はとても似ていると思った。同情とは違う共感に芽生えるのだった。朋美の家庭は幼いとき、両親が離婚していた。

父親は外で女を作って、そのまま家を出てしまった。数年後、離婚が成立して朋美は母親と二人っきりで生活を始めた。その頃、朋美の生活は決して楽ではなかった。元々病気がちだった母親は思うように働くこともできなかったからだ。

その辺の事情もあって、負担は朋美一人で背負っていた。


「どうして今、そんな話しをするんですか?」と僕が訊き返す。


「海野くんと似てない?君も両親が離婚して母親と二人で生きてきた。苦労したんでしょう」


「なんで知ってるんですか?そんなこと話した覚えはないけど……」


「歓迎会の夜、私の部屋で飲んだでしょう。そのとき、あなたが話してくれたのよ。酔ってたから覚えてないと思うけどね」と朋美は言った。


それに関しては、何も言い返す言葉はなかった。酔っていたし、気を許して話したのだろう。そのあと、僕は朋美と肉体関係になっている。だけど、今回の件と何ら関係はなかった。

そんな話しを聞いたところで、答えにはなっていない。


「確かに、僕と雛形さんの境遇は似ているかもしれない。でも今回の件と」と僕が言い返すと、朋美はテーブルに紙袋を置いた。


「最後まで聞いてよ。まず、中身を見て」朋美はそう言って、紙袋をひっくり返して中身を開けた。


テーブルに広がったのは、数種類の錠剤だった。明らかにドラッグなのではないかと思った。すると、朋美は目を逸らすことなく、僕に説明をしてくれた。

この出来事が僕の早とちりで、僕の想像が間違っていたとわかる。


「あのビルの中に病院があるのよ。そこに知り合いの先生が居るんだけど、その先生に頼み込んで薬を買ってるの。実はね、精神的に病んでるのよ。昔から母親と二人で生きてきたけど、私はすべてを背負っていたわ。それは辛い時代だった。疲れてた精神的に。だから、薬だけが頼りだった。でも医者って人は融通がきかないのよ。本人はこれだけ苦しんでいるのに、薬は一定の分量しかくれない。だから先生に頼んで、特別にもらってたの。つまりこれは精神安定剤よ」


知らなかった。朋美が心に病を持っていたなんて。それを勘違いして、僕は朋美を疑ってしまった。だから、朋美は自分の生い立ちを打ち明けたんだ。


「すいません。勘違いとは言え、僕は疑っていた。謝ります」


「もう良いのよ。むしろ心配してくれてありがとう。やっぱり、君とは気が合うわ。それにあの夜、寂しかったから」と僕をかばうように朋美は言った。


「今も薬が頼りなんですね」


「そうね、たまに寂しくなって苦しくなるのよ。でも、だいぶんマシになったの。海野くんは子供のとき、寂しくなかった?父親のぬくもりとか欲しくなかった」と朋美が聞いて来た


「寂しくないと言ったら嘘になるかな。僕の母親は、父親が出て行った理由を教えなかった。でも、もしかしたら女を作って逃げたかもしれないですよね。そう考えると、僕と雛形さんは同じ境遇かな」


その夜、僕と朋美の中で奇妙な親近感が湧いた。それは、同じ境遇で僕たちは寂しい生き物なんだと。テーブルに置かれたピザはすっかり冷え切っていた。


人は安心すると、同じあやまちを繰り返す。願わくば、時間を巻き戻したいと思った。そのとき、思わぬ罠が仕掛けられていたのは到底思わなかった。

元々が精神的に病んでる人間を信じた奴が馬鹿なのだ。それは、愚かな行為と言われてしまうだろう。


くだらない話しが盛り上がる。テーブルの冷え切ったピザが何枚か無くなっていた。どちらが食べたのかさえ覚えていない。僕らは同じ境遇を分かち合うように、時間を忘れて会話に夢中だった。

またひとつ慣れ合い、僕だけに見せる朋美の笑顔が見えていた。


「それじゃあ、美鈴ちゃんから聞けなかったのね」と朋美が訊ねた。


「うん、彼女からの雰囲気で話したくない感じがしたんだ。きっと、大人の成人式を思い出すのが嫌なんじゃないのかな。僕もそこまで追求するつもりはなかったし、それに、今思うと、あれは幻覚に近かった」


「幻覚ねぇ。私もそれに近い世界は知ってるけどね」と朋美は美味しそうに煙草を吸った。僕はそれを見て、何故か不思議にも惚れ惚れしてしまった。


「美味しそうに煙草吸うね」


「そう?私にとってはストレス発散みたいなものよ。それに、口が寂しいから吸うのよ。海野くんみたいに、女の胸を美味しいと思って吸わないわよ」と笑いながら言った。


朋美に指摘されて、僕と朋美が笑ったのは言うまでもない。そこに変な遠慮はなく、僕たちだけの共通点が重なった証拠でもあった。


「ねえ、一本ぐらい吸ってみたら?別に死ぬことはないんだし、何でも経験よ」と朋美は自分の吸っていた煙草を手渡した。


何本飲んだのかわからないビールに、僕は間違いなく酔っていた。それに気持ちも昂ぶって、普段なら断るはずの煙草さえも調子良く吸うのだった。

もちろん、むせて咳き込んでしまったが、笑ってその場を楽しんでいた。


「初心者にマルボロはキツいわよね。ちょっと待ってね。あれなら大丈夫かな」と朋美は立ち上がってキッチンへ向かった。


小さなシンクの下でしゃがみ込むと、何かを探している。そして、僕の横に戻ると、テーブルに小さな煙草サイズのケースと紙を並べた。ケースには英語のロゴが書いてあったが、もちろん読めるわけがない。

僕がこれは何と訊ねると、朋美は巻きタバコと言った。ハワイ旅行へ行ったとき、親しくなった地元の友達から土産で貰ったという。


「日本の煙草と違って、向こうの煙草は紙に巻いて吸うのよ。ほら、映画とかで観たことあるでしょう。面倒だからめったに吸わないけど。全然軽いから海野くんでも吸えるわよ」そう言って、朋美は紙のふちを舌で舐めた。そして、その上にケースの中から葉っぱを摘まんでは、均等に横へ並べた。


巻き寿司みたいに、朋美は葉っぱを乗せたまま紙を丁寧に巻いた。慣れた手つきで、僕は何ら違和感もなく出来上がった巻煙草を受け取った。

朋美はゆっくり吸うのと説明してからライターで火を点けた。口に咥えて、僕は巻煙草の先端を火の中へ潜らせた。


ゆっくり吸い込んで、肺の中へ煙を送る。そして、ゆっくりと煙を吐いた。

それは、世界が変わる瞬間だったのかもしれない。僕が二度ほど繰り返したあと、朋美は僕の巻煙草を指先から取り上げて僕と同じように吸い始めた。

普段と違って見えた。朋美の吸い方は何かに浸るような感じがあった。


「ねえ、大人の成人式は幻覚だったと思う。それとも現実の世界なのかしら。今と何ら変わらない世界じゃない」と朋美は巻煙草を吸って、煙を空虚な部屋へ漂わせた。


「ほら、全然大丈夫でしょう。気持ち良くない?」


「ああ、なんだか変な気分だ。でも、気持ちはすごく良いね」


「海野くんの言うところ、美味しい世界が広がらない……」


朋美の声が、あの大人の成人式で聞いたように耳元へ響いた。振り向くと、気持ち良さそうな顔をした朋美の表情が泳いでいた。


「海ちゃんの好きな美味しい食べ物を食べない?」と朋美が囁くように呟いた。そして、僕の口に巻煙草をくわえさせた。


僕はもう一度、ゆっくりと煙を吸い込んで天井へ向かって吐いた。頭の中で朋美の言葉が繰り返される。僕の好きな美味しい食べ物。


部屋の中は熱帯雨林のように蒸し暑く感じた。僕の中で、何かが変わってしまった。世界は幻覚と美味しい食べ物で廻っていた。


第47話につづく

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