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第26話「蛇夜」

旬の山菜に川魚料理。色とりどりの野菜の天ぷら。甘みのある筍。そんな田舎料理に懐かしさを噛みしめる。不思議と田舎料理は懐かしい気持ちにさせた。品数も丁度良い。冷酒を嗜みながら、明日の予定について話し合う。


と行きたいところだったけど、食事が始まって数分後、雫がご機嫌な顔して笑い出した。調査の為、三重県までやって来たのに観光と勘違いしている。


「美味しい。ここって普通の宿屋なんでしょう。料理も最高だし、温泉も良かったわよね」と雫が五杯目の生ビールを飲みながら言う。


「お前な。完全に目的を見失っていないか?明日は黒土山に登るんだぞ。そんなに飲んで大丈夫なのかよ」


「何よ。私だって明日になったら、ちゃんと働きますよ。それにお兄ちゃんだって、今から女の人と待ち合わせしてるんでしょう」


「僕は仕事だよ。それに地元の人からの聞き出しは大事だろう。何ならお前もついて来るか?」


「先生にお任せしまーす」と雫は調子良く、僕に向かって先生とワザとらしく呼ぶのだった。


偶然にも露天風呂で会った女性。そのことを話したのだが、雫はすっかり旅行気分なのか、一緒に行くことを断った。まったく、何しに来たのかわかったもんじゃない。これじゃあ、バイト代は下げるに決定だな。あとで文句を言われる筋合いもない。


「お兄ちゃん、何かあったら連絡してよ。私、多分ずっと部屋で飲んでると思うから」


この調子なら、僕が戻った頃には寝てそうだ。まあ、それはそれでバイト代を下げる原因としておこう。それにどっちかと言うと、一人で行った方が向こうに迷惑もかからない。若干、酔っ払った雫を連れて行っても迷惑をかけるだけだ。


予定通り十時を少し過ぎた頃、僕は私服に着替えて女性の部屋に向かった。女性の部屋は『ニジマスの間』。そう言えば、夕飯に出てきた魚料理もニジマスだった。大変美味しいニジマスだったのを思い返す。もしかして地元ではニジマスが有名かもしれない。


案内図で確認していたので、迷わずに『ニジマスの間』へ到着すると、僕は扉をノックした。部屋の間取りは全室同じだと思ったが、『ニジマスの間』は一人用なのか、入り口が狭かったので各部屋の間取りは違うかもしれないと思った。

ノックをして数秒後、扉が開いて浴衣姿の彼女が現れた。


「お待ちしておりました。さあ、中へ入って下さい」と女性が口元に笑みを浮かべながら言う。


露天風呂で会ったとき、髪を後ろで束ねていたが、今は髪を下ろしていたので印象は変わっていた。妖艶な雰囲気だったけど、清楚な雰囲気に変わって見えた。

僕は軽く会釈して、彼女に促されるまま部屋へお邪魔した。


若干、部屋の間取りは違ったけど、ほとんど造りは同じだった。畳の部屋に床の間。和室の向こうは小さなテーブルと両脇にチェアーが置かれて、窓からは山間の景色が見える。

木造の長テーブルの上は綺麗に片付けてあり、宿屋の用意したお菓子。そして、冷酒がお盆に置かれていた。


食事は終えたようだが、ハムの燻製をつまみに冷酒を嗜んでみたいだ。


彼女に促されるまま、テーブルに腰を下ろすと、改めて明るい部屋の中で彼女の顔を確認した。やはり露天風呂で会ったときと、聡明な顔つきは変わらない。凛とした佇まいというか、日本美人な雰囲気を感じた。


「御食事は終わりましたよね」と女性が僕の向かいに座って訊く。


「ええ、先ほど食べ終わりました。大変、美味しかったですね。えっと、それで」と、ここで女性の名前を聞いていなかったことに気づく。


「フフ、そう言えば自己紹介がまだでしたね。袴田美玲(はかまだ・みれい)と申します。ここから南へ行った集落に住んでました。上京したのは二十歳の頃、今回は夏休みを利用して帰郷したんです」


なるほど、袴田美玲さんか。美しい名前がピッタリな女性だ。二十歳の頃に上京したってことは、見た目からも三十代後半と予想した。とにかくこの出会いはラッキーだった。


まさか、僕たちが調べようとしている日比野鍋子と同郷なんて、調査としては幸先の良いスタートである。


「それでは早速なんですが、黒土山に纏わる神話を教えてもらえますか?」


果たして黒土山の神話とは?僕は興奮しそうな顔を抑えながら、袴田さんが語るのを待つのだった。


第27話につづく

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