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「働く」とは何か?意外とシンプルだった働くことの意味

徒然なるままに書いてみる。思考の表面をなぞっただけの文章。深堀は反応を見つつ。そして丁寧な文章は疲れるので書かない。書けない。リアルでは丁寧なほうなので、せめてここでは許してほしい。

「はたらくって何だろう」というテーマでnoteコンテストが開催されている。せっかくなのでそれなりに思うところを書きたいと思う。
曲がりなりにも労働組合の委員長なので、言いたいこともある。もちろん公には言えないけれど。

僕の回答は「飯を食わせろ」だ。

さて、働くことの定義を僕は「賃金をもらうために労働する」としている。というか、これ以外を定義づけようとするとまず揉める。宗教戦争が始まるので、やめたほうがいい。と思っている。

最近「サピエンス全史」という本を読んでいる。
そこには、「人類は、虚構の世界を作り出して、それを信じることで全体の調和を図っている。」みたいなことが書かれている。これがどういうことかというと、神話や常識などの「都合のいいおはなし」を共有することで、意識の統一が画できている、ということらしい。

ただ、僕の解釈では、あくまで人類が自分たちの中で決めていることなので、生物学的に子孫を増やすのに直接関係のある話ではない、としている。

つまり、僕たち人間は生きるために食べる必要がある。
現代では食べるためには貨幣が必要で、それを稼ぐ必要がある。
それ以外のルールや常識は後付けである、ということだ。

これ以上なくシンプルだ。
そして、このシンプルさを大切にしたいと思ってさえいる。
だから、働くことの意義とか、やりがい、なんてものは全て自己満足のための虚構だ。

なにも、虚構がダメだと言っているわけではない。
意義、やりがいを感じなければそれを続けることはできないだろう。だから、それはあったほうがいい。だけれど、あくまであったほうがいいものだ。絶対に必要なのは「食えること」「死なないこと」であり、虚構で飯は食えない。

なぜそんなことを言うのかというと、企業など、多くの人が集まるところでは、100%人間関係のトラブルが発生する。
「同僚の態度が気に食わない」「ハラスメントを受けた気がする」
だから、「自分に都合がいいルールを作ってほしい」がままある。

たしかに、治安維持のためにルールを作るのは効果がある。
だけれど、それは管理コストを下げるためのものだ。
あーだこーだ言わなくても、最低限の組織的行動ができるようにするためのものだ。

なのに、気に食わないことを逐一ルール化しようとする人間が出てくる。自分の働く意義を他人に押し付けるためにルール化を目論む人間が出てくる。うかつにも「そうだよな」なんて思ってしまおうものなら大変だ。そしてそれを全て実現しようとするともうダメだ。稼ぐことをおろそかに、ルール作りに傾注してしまう。そして、ルールが良ければ全てうまくいくというナゾの信仰がうまれ、従わないやつを探し、罰するための異端審問が始まる。そこに生産性はおそらく生まれない。

色んな説明を省いたので、かなり飛躍した感があるが、こういったことは少なからず起こる。実際に「メールを早く返しましょう」などといった誰得ルールが蔓延している会社もあるのではないだろうか。それが本当に効果的かどうかわからずに。

こういったことがあるので、やはり本来の目的を忘れない、ということが大切だと思っている。もちろん、トラブルはきちんと解決しなきゃいけない。人ありきの会社だ。倫理、道徳は大切だ。
だけれども、会社は会社の役割があり、僕たちも「飯を食う」という大目的がある。それを阻害されるのは、本末転倒だ。働く意義や楽しみはあくまで自分の中だけで見出すべきだ。こういったバランス感覚は、しっかりと持たなくてはいけない。とどのつまりそういうことだと考えている。

#はたらくってなんだろう

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