「生き汚くあれ」全ての経験値は「30年後に換金」する。コミュニティの重要性。少子化に向けた生存戦略と放送大学

徒然なるままに書いてみる。これは電波。宇宙人を呼ぶためのもの。全て自分のため。脳の表面をなぞっただけの思考と文章。雑な問いかけ。若干の羞恥心。黒歴史。だけれどすべてはそこから始まる。いずれどこかへ至るといいな。

今回のお話は、僕の生き汚さについて触れています。
「今のままの働き方、生き方で本当に大丈夫?おとうさん、おかあさんと同じ生き方はできないんじゃない?僕の生存戦略考えたから書いてみたよ!」
という内容です。

最後にサポートのお願いもあるので、ぜひ最後まで読んでみてくださいね。

村人になりたい。新たな村を見つけ、そこに住む。
(村とは、ざっくりいうとコミュニティのこと。)
これは僕の生存戦略として考えていることの一つだが、生きるということは死なないように食っていくことである。当たり前だけれども。
じゃあどうやって行くかというと、よくあるのは労働の対価として賃金をもらい、それで衣食住を賄う、というものだ。
ほとんどの人がやっていることなので、イメージしやすいだろう。

ただ、僕はそこに苦言を呈する。
たまたま僕は日本人なので、日本に限って言えば、長少子高齢化が起こっている。それによって、例えば、昔なら55歳までしか働かなくて済んだものが、今後は60歳、65歳、70歳と生きている時間のほとんどを労働に費やすことになっていく。

そんなん仕方ないんだから「働けばいーじゃん」と思ってしまう人は、それでいいんだけれど、今すぐ考えを改めた方がいいと思ったりもしている。
なんでかというと、それは今自分がどんな働き方をしているか、考えればわかるんじゃないだろうか。

まず、現状だ。例えば、一日工場で物を作っている。営業職として1日中車を運転している。世の中はそんな人がほとんどだろう。株式投資が成功したので、あとは放置、という人はほぼいない。

そしてここで質問だが、あなたはその仕事に必要な自分のスペックを何歳まで維持できるか、という話だ。
肉体は老いていく。判断力も鈍くなる。自分の家のおじいちゃんに運転免許を返納させた方がいいと思っているのに、その自分はお爺ちゃんになっても車を運転して仕事する、し続けなくては生きていけない、なんてのは滑稽ではないだろうか。僕が経営者だったら、運転はさせない。リスクが大きいから。そんなのは若いやつにやらせておく。

だがしかし、じゃあそのお爺ちゃんに何をさせる?何ができる?
思いつくのならOK。でも、思いつかないだろう?
そもそも日本の賃金体系は年功序列とはいえ、50歳を目途に給料は下がる構造だ。管理職にならない限り。つまり、若いころのような肉体的スペックがないのに今までと同じ業務をこなすことになる。しかも低賃金でだ。
それ、やりたいと思うだろうか。そもそもできるかどうかも怪しい。
無事に勤め上げたとしても、日本の健康寿命はざっくり70歳程度だ。
すぐに死ぬ。何のための人生だろうか。
ここまで想像したとき、僕はご免被りたいと思った。だからそのために種をまこうと思った。まくのだ。

現在、幸いにも僕は単純な肉体労働から解放されている。こうやって仕事の合間にnoteに考えを吐き出したりできる。それでも今後は70歳まで低賃金で働くだろう、という可能性は高いとみている。
だから、そこから脱却するために手を打つ。どんな手を打てばいいのか?それが僕にとって大切な問いだ。
そして残念ながら手持ちの情報だけでその答えをみつけることは難しい。
なにも、考えることを諦めた訳じゃない。

「まず村を探さねば」

最終的な答えは出せないが、それ見つけるために今すべき答えが「村を探す」なのだ。

僕には資産がある。金ではない。金はない。ただ、経験と知識はある。
ここで僕の話をするが、僕の家は裕福ではなかった。小学生のころおもちゃも満足に持ってなかった。ポケモンもゲームボーイごと友達に借りて遊んでいた。小遣いも少なかった、と思う。何とかコミックボンボンを買うことはできたが、多くの友達に比べると少なかったように思う。
そんな僕だから、いじめられもした。
おじさんのおさがりのダサジャージを着てる。はやりのゲームも持っていない。かっこよくもない。運動神経もない。口下手。成績もよくない。
そりゃ女子に「貧乏人」って言われたこともある。
フェンスの前に立たされて、サッカーボールの的にされたことも数えきれない。

だけれど、そんな人生が嫌だからこそ、そいつらがいない高校に入り、
上京し、上場企業の組合役員としてポジションを得ることができた。
今や僕の生活を脅かす人はいないけれど、この先はどうだろうか?
先にも言ったように、肉体スペックは低下する。
肉体に依存した僕の価値は当然下がる。なら相対的に価値を高めるためには、知識、経験などの中身で勝負するしかない。
2050年には3人に1人が65歳以上になるといわれている。ざっくり3333万/1億人だ。これだけのジジババを若い世代が養ってくれるとは思わない。

ぶっちゃけ、年寄りばかりのスラムみたいな国になると思っている。
金も健康もなく、その辺でうずくまっている年寄り。
若いやつらには「お前らがいなければもっと裕福な生活ができるのに」と指をさされる。そんな世の中。

話を戻すが、村を見つけたいというのそういう理由があるからだ。
つまり、高齢化社会で生きていくには新たなポジションが必要だ。
肉体的価値に依存しないで食っていけるポジション。食わせてもらうポジション。同じ年寄りに食わせてもらうのは望み薄だ。年寄りは死ぬから。よしんば長生きしてもボケて忘れられる。どんなに投資をしても回収できるかわかったもんじゃない。与信管理はしっかりと。

だから、今のうちにできることをやる。若人にターゲットを絞る。
2050年、僕がプロのジジイになったころ、僕に価値を見出し、Win-Winで食わせてくれる人間を育てる。他の年寄りは死ぬかもしれない。でも僕は外部の孫に食わせてもらう面白く、生きながらえる。僕は「生き汚い」のだ。
そんな生存戦略を練っている。

タイトルの話を全然していなかった。今までは前置き。

そんな生存戦略の重要ポイントは、なによりも若人と接点を持つことだ。
でも、接点を持つ方法がなかなか思いつかなかった。
元々コミュニティが狭い上に地元とも疎遠な人間。きっかけがない。
相席居酒屋?キャバクラのねーちゃん?大学生サークルに紛れる?
インフルエンサーになってから考える?
いやいや、敷居が高い。
大人になるとコミュニティへの入り方がよくわからなくなってくる。
交流の場は居酒屋など、なんだか入場料が発生する場所ばかりしか思いつかなくなってしまう。
小学生の時は友達の家や公園みたいに入場無料の場所ばっかだったのに。
世の中には無料があふれているはずなのに。

そこでふと、思いついた。放送大学ってどうなん?
一般大学はとにかく金がかかりすぎて敷居が高い。
その点、放送大学はとにかく安い。

財布の中身なんて有限なんだから、毎回一期一会を楽しむなんて現実的ではない。ネットで知り合ったとしても、つまらないと思われればすぐ切られてしまう。それでうまくいくのは爆発力のある面白さを持つ人間だけだ。
少なくとも僕は爆発力はない。どちらかといとカピバラみたいなやつ。なんとなく、長く一緒にいるといい感じ、そんな感じ(?)生き汚いけれど。
であればやはり、どこかの村の住人として、中長期的な関係を築くのが現実的だと考えた。そこで、僕の人生経験とかいろいろな話をしてポジションが取れればこの上ない。

というわけで、放送大学の資料請求をしてみた。
村があるようなら入学するし、村なんて蜃気楼。。。となったら入らないかもしれない。とにかく、ちょっと調べてみよう。
進展あったらまた書きます。アドバイスもくれたらうれしいですね。
じゃあねー。

ここからは、僕の考えに共感と興味を持ってくれた人向けです。サポートの話もここです。

放送大学が良いかどうかはさておき、世代間の交流は必須になると思います。でも東京とか、個人のつながりが薄い地域にいる人間には、能動的に動かないと交流なんて持てないと思っています。どんな方法が良いかは分かりません。しらみつぶしにやっていくしかないと思います。動かなきゃ死ぬので。

そこで、「村探し」というワードに興味を持ってくれた人に提案があります。僕をサポートしてみませんか?10円でも100円でもOKです。金額よりも、実績を重視しています。リターンは、今回の放送大学について、僕の体験を記事にしてお送りします。また、サポートしていただいた方が知りたい、と思ったことは積極的に調査、体験してして記事に反映させます。
(放送大学に入りたい人、入っている人は僕で遊ぶこともできちゃいますね!)

缶ジュースよりも安い価格で、いろんな情報が手に入るのは非常にオトクだと思いますので、ぜひぜひよろしくお願いします!

※放送大学に入学すると、アマゾンとかいろんなところで学割効くらしいので、節約家の人にもおすすめ。僕はofficeもアドビもいらないので、あまりメリット感じないけれど。

ではでは。


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