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【diary #6】我が家が支援に繋がるまでの話<1/2>

前回に引き続き、今回も次男の話です。夏休み中に市の発達相談センター経由で感覚統合検査をしたのですが、先週末にその結果のフィードバック(FB)を聞いてきました。この「発達相談センター」、放デイと繋がるまでは一番頼りにしていたところについて話しながら、我が家がどうやって支援に繋がっていったかの【前半】を話します。

まずは地域の相談センターと繋がる。

初めて連絡をしたのは、次男年中の頃。その頃の次男はお迎え時にほぼ毎日「今日は●●くんに手がでてしまい…」と言われ母は凹み(さらに学童のお迎えでも何かしら言われる日も…)、そんなお迎えから帰宅すると必ず車内で兄とケンカをして、車を降りた瞬間脱走…の日々。

しかし母も母で仕事が忙しく(当時は都内に1時間かけて通勤。責任を伴う仕事も多かった)、「じゃあ相談しに行くか」という考えに至れなかった。

そんなある日、私に見かねた(であろう)保育園から、1冊の冊子をもらう。

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先生からは「この地区だとここに電話するといいみたいだし、土曜も開いているみたいだから、お母さん、時間があるときに電話してみたらどうでしょうか」と言われる。卑屈な私は「先生だけじゃ手に負えない次男だから、市に頼れってことかよ…」と思ったけど、それ以上に現状に困っているため、早速電話してみた。

最初は隔週で育児相談していたが、相談員さんから無料のペアトレ(ペアレントトレーニング)を勧められた。無料ならやってみようと思いペアトレ開始。今考えるとこれが我が家の療育のスタートだったんだろうと思っている。

それ以降はペアトレと近況報告をセットにして隔週土曜日の午後に行っていたのだけど、当時はまだ兄弟が小2と年中なので2人で留守番させるのは無理。なので私がペアトレしている間、近所の仲良しさんと遊んでもらったりしてもらったけど、毎回は難しく…いったんペアトレを中止することに。

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ペアトレ復活。そして親子療育開始。

それこれしているうちに次男も年長に。その年の6月、就学も近いということで、改めて市の発達相談センターに相談。今までは在住地区のセンターへ行っていたが、これ以降は市のセンター(本部みたいなもん)へ通うことになる。尚、このときは珍しく旦那も同伴。(これ以降は相談や療育がどんどん増えていったので、旦那の同伴を求めなくなった私なのでした…)

このときは「いろいろ困っているみたいだから、よかったらそういう親が集っているところに通ってみない?」と市の親子療育を勧められた。同時に、親子療育は午後なので、その日の午前は発達センターでペアトレ再受講しませんか?と担当の職員さんから誘われた。

確かに有休とってやっちゃえば私もラクじゃん!と思い、年長の7月から月イチの親子療育とペアトレを開始したのでした。

ここからは下記の表も併せてご覧ください。以前ゲスト出演させて頂いたインスタライブで使った資料ですw

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親子療育を回想してみる。

当時、まだ次男が発達障害とは思ってなかったので(単に手のかかる子だと思ってた)、めっちゃ軽い気持ちで療育に参加。

プログラムはほぼ毎回一緒で、まずは外or体育館で自由遊び。次男はいつも高いところからマットめがけて飛ぶ遊びや鉄棒、トランポリン、三輪車を漕いだりしてた。もちろん親と先生以外の誰とも話すことなく。お友達に話しかけられるといつもキレてた。

自由遊びのあとはみんなで円になって自己紹介。次男は極端にこれを嫌い、一度も自分で自己紹介をしませんでしたwいつも私が代わりに名前を言ってた。。。

自己紹介のあとは体育館で運動遊び。親子ペアでやる遊びはいいんだけど、友達と2人1組…は1回しかやらず。あとは常に「ママがいい!!!ママとやる!!!」と主張し、ずっと私とペアを組んでました。。。

これが終わったら教室に移動。「だるまさんがころんだ」や玉入れなどの室内遊び。で、これまたみんなと一緒にやったりやらなかったり。最後に親と子は分かれ、親は別室で講義を受けてた。子どもは先生と折り紙をやったりしながら親が戻ってくるのを待ってた。。。うちの子は、ほぼ毎回親がいる部屋に来てましたねぇ〜(´・ω・`)

毎回こんな調子なので、回数を重ねるたびに「わざわざ1日会社を休んでここに行く意味とは?」と疑問がふつふつと湧き出る。そんなときに次男、私に叱られたことを理由に建物から外へ。体育館から脱走してしまった。

私はもう追いかける気力もなく、屍のように呆然となりながらゆっくり歩いていた。そんな私を見て、とある先生が「お母さん、追いかけなくていいよ。ほら、あそこにA先生と次男くんいるから門の外には行かないわよ。大丈夫」と優しく話しかけてくれたけど、心ここにあらず。

5分ほどして、2人が戻ってきたとき…思わず「もう今日で終わりにしよう。今日もここまでにしよう。お家に帰ろう」と次男に言ってしまった。次男に寄り添ってくれたA先生には「私、今日は12時で仕事終わりにして、急いで都内から電車に乗って帰ってきたんです。保育園にも急いで迎えに行ってここに来たんです。私達、そこまでしてここに通っている意味ないですよね?だから今日で終わりにします」と泣きながら伝えた。

そんななかA先生は私を優しく諭してくれた。「お母さん、外に逃げてしまってもいいのよ。みんなと同じことができなくても大丈夫。お母さんは今の次男くんをありのまま受け止めてくれればいいのよ。

もう涙は止まらなかった。この日はたくさん泣いたけど、このあとは嬉し涙だった。そしてこの日以降、通うことが一切苦にならなくなった。ありのままの次男を見よう、その思いで通った。最後の2回はコロナの流行で中止になってしまったことが残念だったなー。

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さらに放課後デイも勧められる

長男小3、次男年長で発達検査(WISC)を受けた。その結果をもらい、発達相談センターへ報告しに行った。そこで初めて放デイを勧められた。全然知識がなかったので、流れを書いた紙をもらい、それを見ながら電話したなぁ。

コロナによる休校期間中だったので新規申し込みができなかったけど、ちょうど7月に開所するデイができるというので、そこに見学へ行き、デイと契約したんだよね。懐かしい。

受給者証をとるのとか、デイとの契約とかは、次の回で詳しく話しますね!

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最後にまとめ…というか今振り返って感じていることをお伝えします。

「育てにくい子」としてずっと相談してたけど、センターからは「発達障害の疑いありますよ」的なことは一度も言われないまま、ペアトレと療育に繋がった。障害のことが分かったとき、なんでもっと早く言ってくれないの〜!と思ったけど、センターは医療機関ではなく、各家庭の困りごとに寄り添ってくれるとこなんだよね。だからこれで良かったんだと思う。最初から発達障害を疑っていたら、こちらも戸惑ったに違いないから。

上記年表の2020.4月以降は近いうちに【後半】として書こうと思います。そして次がいよいよ感覚統合検査の発表です。今日も読んでくださりありがとうございました!


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