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【エッセイ】 缶のブラックコーヒー

実家は農家をしていた。父、祖父母あと手伝いに来てた外国人数名の地元じゃ大きめの農家だ。小さい頃から私は仕事の手伝いをしていた。日給の日もあれば、歩合制の時もあった。私は全然体力が無かったので畑での収穫の手伝いでは、お昼休憩までは手伝い、その後は畑の隅で遊んでいたり、当時仲が良かった(と私は思っている)仕事を手伝っていた外国人実習生なのか不法滞在なのか今では分からないパキスタン人が大好きで、構われに周りをうろちょろしていた。

いま思うと、大迷惑だったなと反省しているが、彼は凄く優しかった。
いつも、私が何か指を差しながら「これは?」というとそれを英語にしてくれる。小さかったせいかほとんど覚えてなく、唯一覚えてるのは私の名前は英語でも一緒なんだと教えてくれたこと。いま考えると、自分の名前が英語だと違くなるなんてそんな考え自体思い浮かばない、あの頃はばかで可愛かったなぁ。

そして、15時くらいになるとまた、休憩がある。
父は必ず缶のブラックコーヒーを飲んでいた。真っ黒の小さな缶を軽トラックの荷台に座りながら飲み干す。
一度、父が「一口飲むか?」と飲ませてくれたのを覚えている。
子どもだった私には凄く不味くとてもじゃないが飲み干すことができなかった。飲み込めなかった口の中のコーヒーを畑に吐き出す私を見ながら父はケラケラ笑ってた。

仕事をする父をみるのが好きだった。
仕事以外だとほぼ喋らない父が何かを教えてくれるときや指示するとき喋るから。いつも何考えてるのか分からない父が、仕事中はわかるような気がしてた。

なんてそういった経緯もあり、高校で農業について学んだ。
でもやっぱり家と学校とでは違うんだなぁと改めて思った。でも、父と会話ができた気がしてた。ただ、私は学校の役員やアルバイトで忙しく、もう家の手伝いをすることは無かった。ずっと私が家を継ぐと漠然と思っていたのも段々と薄れていった。

父が好きな缶のブラックコーヒー、学校の実習の休憩中によく飲んでいた。大人だねぇなんて言われながらちょっと、いやだいぶカッコつけながらチビチビ飲んでいた。慣れず、飲み切るのに放課後まで掛かっていたが。
ブラックコーヒー、いつから好んで飲むようになったんだっけ?そんなこと思いながらベットでパソコンを叩きながら父が好きな缶のブラックコーヒーを飲んでいる。






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