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愛されていた実感が無かった私。

私には3つ上の兄がいる。

今は体重100キロ近くあるが、思春期の頃はスラッとしていてそれはそれはモテた。小学校時代は〇〇の妹と言うだけで教師は理解し、習い事の器械体操ではメダルをいくつも受賞。兄を追いかけて入会する女子がいたほどである。

祖父母も自慢する兄であった。私も兄を慕っていた。だが兄は私を召使いだと思っているのか、自分が風呂に入っている時は私にドラクエのレベル上げを命じ、カレーのお肉は横からかっさらい、喧嘩したらマウントポジションで涎を垂らして寸前ですするという嫌がらせをしてくる。いつしかこんな気持ちを胸に抱くのである。


憎い……


そしていつものように冷蔵庫から牛乳を持ってこいと命令された時、私は母親の元へ駆け出した。

「妹が欲しい。」

本心は1つ。自分の召使いが欲しいのである。兄に命令されて、その命令を妹(もしくは弟)に押し付けたいだけ。そんな胸の内を悟られず、両親は了承してくれた。だが私は末っ子のまま、中学生になった。


思春期になると、男女の事、結婚の事、生理のこと等を学ぶ。その際祖父母や両親は言うのだ。

「あなたはいずれ結婚してこの家を出ていくんだからね。兄は長男で跡取りだよ。この家の全ては兄が継ぐんだよ。」

この呪い。兄はどう感じたのか分からないが、私は(兄が1番大切なんだ。私はいつか皆とさよならするんだ。)と幼心に思ったのである。

中学2年生14歳の時に、妹が出来た。お腹がどんどん大きくなる母親が、大事に大事にお腹を撫でる。後に3人目不妊だったと知るが、本当に誕生を皆で心待ちにしていた。そんな時に私は母親に言ったのである。

「お母さんは、長男で跡取りのお兄ちゃんが1番で、産まれてくる赤ちゃんが2番、私が3番目に大切なんでしょう?」

今もこの時を思い出すと涙が流れる。ずっと末っ子で可愛いがられていた女の私。そんな私よりも可愛い女の赤ちゃんが今度産まれる。私はいらないじゃないか、いずれこの家を出ていくんだから……。

母親は、みんな1番だよ。比べられないよと言っていた。私ももうすぐ2人の子どもの母親になる。同じ質問をされて、どう答えるのが正しいのかまだ分からない。でも、14歳で間っ子となった私は妹がとにかく大好きで、自分がどんなに可愛くないか打ちのめされていった。

高校生ともなると、私は夜に抜け出し親に初めて殴られ、兄は大学を中退して家に戻ってきた。遅れてきた反抗期なのか赤ちゃん返りなのか、兎に角私たち兄妹のせいで家はぐちゃぐちゃだった。まだまともに喋れない妹に話しかけることが私の癒しだった。

兄は大学を辞めてから働き出した。私も大学は東京へ行った。両親は私にバイトをさせず、マンションの家賃と月々のお小遣いを仕送りしてくれた。

お金に困ったこともなく、やりたい事は応援してくれて、妹が欲しいと言ったら了承してくれた。思うと、夏休みは山登りとキャンプ、冬休みはスキーに連れて行ってくれた。高校生の頃は毎日学校まで車で送ってくれた。両親が今でも大好きで、家族が大好きだ。

でも、愛されている実感が当時は全く無かった。罰当たりだなぁと今でも思う。
間っ子に産まれて、気楽なポジションだと実感しているし、空気を読むことについては長けていると自分でも思う。

でも、私は子どもは二人でいいなと思ってしまった。
親はたくさん愛を注いでくれていたのに、子ども(私)は受け取らないんだもの。愛しているとたくさん伝えて、私は呪いの言葉を発しないように気をつけていかなければと強く思っている。


そして


可愛い可愛い妹は、私に牛乳を取れと2歳の頃から命令をしてくるようになった。召使いが欲しかったのに、結局は兄妹にいいように使われる下僕体質なのは今も変わらない。私利私欲でまみれた私の末路であった。

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