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オムライスの思い出

息子の中では世界イチィィ(byシュトロハイム)

ここのところ、ほぼ毎週日曜日の昼は息子にオムライスを作っている。
息子曰く、「お父さんのオムライスが世界で一番美味しい」らしい。
息子には美味しいオムライスを外食させていないため、競合がいない世界の中でのNO.1なのだが、言われると嬉しい。
 
息子はなぜか2歳の時から「のど自慢」を見るのが好きなので、「食事中はテレビ禁止」という家内がいないのをいいことに、日曜の昼は二人でオムライスを食べながら「のど自慢」を見ている。
うちの日曜日の昼食は、大体そんな感じだ。

言葉を知らないことの恐ろしさ

話は変わるが、オムライスに関して私にはほろ苦い思い出がある。
それは私がまだ「オムライス」という単語を十分に覚えていなかった8歳頃の話だ。
母から「お昼に何が食べたい?」と聞かれたので、「オムライス」と伝えたつもりで食卓に出てくるのを待ちわびていた。
そして、待ちに待ったオムライスが目の前に運ばれてきた瞬間にケチャップをバサーッとかけ、意気揚々と食べ始めた。
すると、驚くべきことにその卵の包みの中には米が入っておらず、代わりの具としてひき肉と玉ねぎを炒めたものが入っていた。
 
これは私がオムライスのことを間違えて「オムレツ」と母に伝えてしまったために起きたトラブルだったのだが、待ち望んでいたオムライスが食べれなかったことに加え、父親が「ケチャップをつけてご飯と一緒に食べれば、口の中でオムライスになるだろ」みたいな発言をしてきたことで、世界のすべてが嫌になり、自分の運命を呪い、泣きわめいたことを記憶している。
 
今振り返ると母には感謝してもし切れないが、そのとき母は私のわがままに対し「オムライス作ってあげるからいい加減に泣くのを止めなさい」と言ってオムライスを作ってくれたのだった。

おおっ かーんしゃ!(byドブゲロサマ)

愛情の偉大なところは、主客が変わって同じような状況になった時、自分も過去にしてもらったことがあるから、目の前の相手にこうしてあげようと、自然と自分の器を超えた思いを抱ける点にあると思う。

多分、息子が同様のことを私にしたら、「自分でオムレツって言ったんだから、責任取って食べなさい」と叱るのが通常の私の対応になるかと思う。
だが、このオムライスに関しては母から受け継いだ無償の愛がある。
だから、息子よ、父は貴様のわがままを受け止める日が来るのを首を長くして待っているぞ。
なぜならば、人生で一度はやってみたいのだ。
ただしピンポイントでオムライスに限っての話だがな!

追伸 Mr.アダンソン輪廻転生の旅へ

12月8日、大東亜戦争開戦の日の夕方、我が家のペットであったアダンソンハエトリのヨシロウ・モリが台所のシンクの裏で冷たくなっているのが発見された。
第一発見者である私の「ああーっ、ヨシロウ・モリがぁあー」という悲痛な叫びに家内と息子が集まり、彼との最後のお別れをする。
アダンソンハエトリとの別れは想像していた以上に悲しく、ホームセンターでもらったグッピーが死んだときよりもはるかに切なかった。死別して初めて、「ああ、彼は本当に我々ファミリーの大切な一員だったのだ」と実感した。

我が家には今、アダンソンハエトリは存在せず、壁を見ていても現れないのかと思うと、どこか空虚でさみしい。
元気にピョンピョン飛び跳ねる姿も見ることはなく、息子の「お父さん、ヨシロウ・モリがいたよー!」という、それだけで楽しかった親子の会話もなくなってしまうのかと思うと残念でならない。

これで我が家に残る人間以外の唯一の生命体は、赤いグッピーの「CBジム」のみとなってしまった。せめて「CBジム」にはその名の通り「フロントフォークと同じくらいの長さ」は生きて欲しいと思う。

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育児日記

小~中学校まで高田純次並みに適当な内容の日記を書いて提出していたところ、小・中の担任から「君の文章、変だけど面白いよ」と言ってもらい、書き手も読み手も楽しい幸せな日々を6年程送りました。その頃のことを思い出し、あまり根詰めずに文章を綴っていきたいと思います。のらねこが好きです。