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技術とは

昔からよく言ってる事なんですが

例えば、海外で不測の事態で囚われの身になって

物騒な話ですが、明日にも処刑されるとなった時に

難を逃れようと思案して

僕、パン焼けます!!

とお役立ちアピールできたら

もしかしたら命を繋ぐことができるかもなあって

パンの世界に飛び込んだ若い頃によく妄想してました笑笑

だけど、技術って、こういう事だと思うんですよね

自分の身を救うもので、命を繋ぐもの

それは自分だけでなく、誰かの身や命にも活きます

だけど問題は、その置かれた環境が万全とは限らない事で

そんな時、自分が技術だと思っていたものは、調った環境でぬくぬくとカタチになっただけの、技術らしきもの、に過ぎないように思います

勇んでパン焼けます!と言ったところで、素材や機材や道具が整っていなければ何もできない自分に愕然とするかもしれない

先の囚われの身の話で言うなら、もしかしたら、余計に酷い罰を受けるかもしれない苦笑💦

今はネットにアクセスすれば、どんなパンのレシピも有りますし、そこにある説明に沿って作業していけば、パンらしいものは誰にでも焼けます

懇切丁寧に説明してくれている上に、材料や機材を購入できるリンクまで貼り付けてくれてますから万全です

だけど、こんな調った環境で焼けたパンに満足したところで、それは果たして技術なんでしょうか

僕が敬愛する、ギタリストの鮎川誠さんが生前に

「今の若いギタリストにセッションしようぜって声かけたら、みんな曲の譜面を書いた帳面見ながら演奏しよるんよ
そんなの全然ロックじゃない」
と話されてました

本質とは何か?

うわべだけをなぞっていても、多分それは見つかりません

綺麗さや卓越であることも、もしかしたらそこには必要ないかもしれません

人や自分の身を救ったり、繋ぐ事ができるのであれば

それは最高の自尊心と言えると、僕は思っています

とはいえ、僕自身、まだまだそこまで至れてないんです

削ぎ落としても削ぎ落としても、その状況に慣れたら、あれまだ甘いなって思う、その繰り返しです

僕は専門学校で講師をしてるんですが

これから社会に出ていく生徒たちに、いつもこの話をしているんです

追伸。結構ウケます笑

#技術
#囚われの身
#和歌山パン屋

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