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After 7 Years in Singaporeフェーズ1

初めてのシンガポール駐在

2009年9月、東京本社での約9年間の「痛勤」の日々を経て、自ら志願してアジア大洋州地域統括オフィスの人財開発担当として赴任した心象風景がつい先日のデジタル写真のようにも、セピア色の風景にも思える。
赴任以降、毎月数回のアジア大洋州内の各国への出張の連続の中、大海の水をコップで汲み続けるが如き生活は東京本社当時と同様であったが、ほぼ全てを自己決済できたことに加え、オフィス内手続きが遥かに簡素な分、文字通り自由に域内を動き回ることが出来た。
従って、これにより、ワークライフバランスは東京時代より大分マシになった。一方、マイナス面は、家庭内の事情により、初の「単身赴任」となったこと。以前、香港とジャカルタに駐在した時は、家族3名同伴であったので、また、お手伝いさんもいたのでハッピーかつ楽ちんであったが、今回は、50の手習いで、初めての炊事洗濯、少しの掃除、等々と計7年間の独り暮らしは大分堪えた。
特に、炊事洗濯は慣れるまで大変であったが、半年位で何とかできるようになり、赴任前は万が一家内が先に逝ってしまったら「直ぐに死ぬ」と思っていたが、一年も経つと、毎日着るワイシャツのアイロンがけは完璧に?できるようになり、「もしかしたら直ぐには死なないかも」という些かの自信(!?)が芽生えて来た。これは実に意外な「単身赴任の副産物」であった。
しかしながら、その楽観は7年後に自ら選んだ二度目の同国滞在開始から僅か一年で文字通り「地獄」に落ちるような体験に転じることになるとは夢にも思わなかった。2017年初頭からの二度目のシンガポール私的滞在については後述する。

何故シンガポール駐在を志願したのか?

グローバル連結6万人の会社組織で、1996年にジャカルタから帰任してから、二年間、ひたすら「グローバル化」への施策実施に邁進した。
その後1998年から2000年の二年間は、在香港の人事子会社に出向し、人生初の総経理としてアジア諸国を毎週出張し、制度改革、域内研修、更には域内人事担当者のネットワーク創りに奔走する日々を送った。
先ずは、社内コンサル先であった台湾子会社での人事制度改訂、職務評価のノウハウは、中国子会社での人事制度との対比で実に勉強になったが、学ぶことの方が多かった二年間であった。
1998年と言えば、香港が97年間の租借期間を満了し、中国に返還された直後の事である。未だ中国色は薄く、ビジネスは隆盛で、自由な雰囲気の中、税制は外国企業に有利で、文字通り何でもできるという感じであった。
アジア各国での諸活動については、経験談を纏めている最中であるので、後日公開したいと思うが、香港から帰任し、2001から本社のグローバル人材開発に集中せよというミッションが与えられた。
本社の「変革」については、今から文字化するところであるので、今後にご期待頂きたいが、煎じ詰めれば、2001年から2009年の9年間で燃え尽きてしまったということに尽きる。
要は、グローバル連結6万人ー現在は7万人ーの会社組織を一介の組織長の分際で変える事は不可能であると思い知ったことが理由の第一である。
更に、まだまだ諦められないので、グローバル連結からアジア大洋州のリージョナル連結へと視点を移し、より狭い範囲で現場を毎週訪問しながら、一定レベルの変革を実現したいという希望的観測もあった。
従って、地域統括機能があり、ジャカルタ時代に何度も「健康診断」で家族と共に通ったシンガポールへの駐在を志願し、幸運にも認められた。

この連載を何故始めたいのか?

二度目のシンガポール滞在(2017-2018)ー1度目は単身赴任6年間(2009-2016)ーで、思いがけず病気になり、志半ばで帰国となってしまったからである。
漸く診断された故障個所の手術を受け、痛みと戦う一年間の後、約三年間の自宅療養の助走期間を経て、徐々に気力体力が回復してくると、自分でも意外であったが、単なる「自適」生活で趣味に生きるだけでは物足りなくなって来た。これは同様のケースに嵌った場合でも人により対処方法が異なるであろうが、自分の場合はいくつかの過去の「刻印付けされた」いくつかの出来事が繰り返し蘇って来るのだ。今でも鮮明に思い起こせるほどである。

この連載で弊方が望むところは、弊方が今後取り組む予定の幾つかの「プロジェクト」に関し、有形無形のサポートを頂ける「同志」を呼び寄せることである。
弊方の好きな例えで言えば、グローバル「元気玉」を読者各位から賜ることである。弊方の2001年から2009年における本社での「連日終電」「切磋琢磨」では、社内の「同志」を呼び寄せる努力は一定の功を奏したが、「無関心」層および「中間層」をオルグする努力に欠けていた。
続いての2009年から2016年にかけてのシンガポール駐在では、具体的な施策はよりピンポイントで鋭意企画実施できたが、各営業部門への浸透、更には具体的なビジネスに資する程の施策体系は実効的に立証出来なかった。そして、本社への働きかけが足りなかったという反省が残る。

上述のような問題意識で、弊方の経験を開陳し、読者各位および読者各位の友人知己のネットワークの中から、問題意識を共有し、情報交換(KM)できることが少しでも実現すれば、幸甚至極である。

とまれ、本noteがいみじくも自らの「ヒント」に明記されているように、 下記を実現できることがボトムラインであるので、そのアドバイスを信じ、先ずは気楽に始めてみたい。

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創作活動でもっとも大事なこと

みなさんにnoteを使っていただくにあたって、何よりも優先していただきたいポイントが2つあります。

  • 創作を楽しみ続けること

  • ずっと発表し続けること

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以上 2311某日 

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