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勝手に申し訳ない

先日打ち合わせでとあるカフェに行った。

コーヒー屋を生業にしていて良いところは、打ち合わせをするカフェをしっかりと選ぶところだと思う。偏見だが、他の職業の人、例えばメディア関係の人は、その辺のいわゆるチェーン店のカフェにサッと入り、とりあえずブレンドを頼み、味わう暇もなく打ち合わせをして、サッと会計を済ませつつも領収書は必ず忘れずにもらうのではないだろうか。
その点コーヒー屋同士ではお店を決める時も、せっかくだからと行ったことのない気になっていたコーヒーショップやカフェを選ぶ。

「あそこのお洒落なカフェはどう?」
「あの店、パンはめちゃくちゃ美味しいんですけど、コーヒーが壊滅的にまずいんですよね。」
「あ、じゃあ辞めとこう。」
こんな会話も日常茶飯事である。

今回選んだカフェは以前に来たこともあったが、なかなかコーヒーが美味しいお店である。店主は僕のことを覚えてはいなさそうだが、それはそれで都合が良い。同業ということがバレると挨拶から始まってしまうし、そこから最近の仕事の話に繋がり、さらには相手の最近の仕事の悩みを聞くことにも発展しかねないからだ。打ち合わせの相手は少し遅れてきて、彼女には店主も気付き軽く挨拶をして席に着いた。彼女の挨拶は丁度いい尺でまとめられており、鮮やかだった。どうやらこのような挨拶をそこそこに短くする能力が僕には欠損しているのかもしれない。それ故気づかれていないかと、無駄に気構えてしまうのかもしれない。

打ち合わせは順調に進み、今後のタスクや締め切りなどの認識をすり合わせることができた。お互い多忙な中で時間を捻出したため、約1時間という短い時間だったが、有意義に話をすることができた。それにも関わらず、僕の心境は靄がかかったようだった。理由はカップの中に半分ほど残されたコーヒーだ。

ここから先の話をする前に、一点明確にしておきたいことがある。それはこのお店のコーヒーが美味しくないというわけではないし、そもそもコーヒーの美味しさとは作り手それぞれに託されているべきであるということだ。

話に戻ろう。普通なら僕はホットコーヒーを頼む場合、時間経過とともに3段階を楽しむ。提供された直後の高温帯、だんだんと冷めてきた中温帯、そして冷め切った状態である。コーヒーは温帯によって感じやすい味わいが変化する飲み物だ。せっかくなら全ての味を楽しみたいと思うので、高温帯がどんなに美味しくてもあえて少し残して冷ましておくことにしている。

しかしカップに残されたコーヒーは半分ほど。時間も約1時間経過しているということで、もうとっくに冷め切ってしまった。その理由は、僕はこのコーヒーを飲めないと思ったからだった。どうして飲めないのか。それは抽出されたコーヒー豆が調理不足だということがわかってしまったからだ。

コーヒーの味わいは焙煎による熱の化学変化によって起こる。その多くはメイラード反応という現象で甘味や酸味が形成される。これはお米を炊くときにも起こっており、炊き立てのご飯が甘く感じるのもこの現象に起因している。しかし僕が残してしまったコーヒーはこの化学変化が不完全な状態で終わっていることがはっきりと分かった。そしてそれは冷めていくにつれて顕著になっていくのだった。

普段、僕はどんなに自分好みではないコーヒーでも残すことはほとんどない。それは作り手に対するリスペクトの意味もあるし、自分が逆の立場だったら何か良くなかったのかと考えてしまうからだ。そしてその考えている時間はあまり気分が良いものではないということも経験を通して理解しているからだ。しかし僕の場合、調理不足のコーヒーを飲み続けるとお腹が痛くなってしまうのも事実である。だからこそ僕の心はこの液体を飲み込んでしまうかどうか揺れていた。また残す場合には、なぜ残したのかを告げることこそ誠意なのではないかという思考を巡らせていたりもした。

ただ残した理由を誰が上手に説明できるだろうか。「あなたのコーヒーは調理不足なので、お腹が痛くなってしまう可能性があり残しました」僕がこんなことを同業者に言われたりしたら腹が立つし、多分一通り怒った後に落ち込む。でも同時に無言で半分ほど残されるのも不快に感じるだろう。つまりこの状況においてどの選択肢を取っても詰みなのだ。

「どうしたの?なんか疲れてる?ぼーっとしちゃって。」
「あ、大丈夫です。ちょっと考え事してました。」

感情や思考がすぐに顔に出てしまうのは僕の悪いところだ。残されたコーヒーについてグルグルと考えているのが見透かされてしまったのではないかとドキリとする。大丈夫。多分打ち合わせ相手は読心術を会得していないはずだ。自分が作り手側だったら、こんなことを考えられるのも嫌だろうなと思い、なんだか勝手に申し訳なくなってきた。

「じゃあ次は来週ね!今日は帰ろー!」
今日はもうコーヒーいっぱい飲んじゃったから、クリームソーダにしちゃおっかな!と言っていた打ち合わせ相手が、こちらの心境など気にせず勢いよく席を立った。

結局僕は何事もなかったかのように会計を済まし、店の外に出て打ち合わせ相手と解散した。そのまま夕日に照らされた駅に続く道を歩きながら、カップを下げた時の店主の気持ちを想像してなんだか憂鬱になった。
ああ、こんな場面を切り抜けられるウィットに富んだ人になってみたいものだ。


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