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魂と無垢〜会話とはなにか〜

先週、ある保護者の方にこんな話を聞かせていただいた。

「虐待を支援されている方のお話を聞いたんです」
「その方がおっしゃるには、、、」

『親は子に、無償の愛を与えていると言いますが、逆だと思うんです』
『無償の愛を与えてくれているのは、子供の方だと』

『だって、虐待されている子はみんな、お父さんやお母さんのことが大好きです』
『どんな目に遭わされていても・・・』

その保護者の方は、僕が生徒に辞められて落ち込んでいる話をした時にも、気持ちを重ねてくれた優しい方。どれだけ助かったか分からない。

今年の6月、ある生徒の誕生日にメッセージを送った。

「誕生日おめでとう」
「こんなことを言うのもなんだが」
「入学早々、運命の人に振られてしまったな」
「その後、お前がショックで一切勉強に手がつかなくなったのは、俺にとっても痛い誤算だ」

「お陰で俺の評価もナイアガラのように下がったが」
「本気の恋ほど人を学ばせるものはない」

「お前は一生、彼女のことを思い続けるだろう」

「詩人ランボーは『無傷なものなどあるものか』と歌ったが、」

「詩は魂の傷口から語られるものだ」

「新たな詩人の誕生に」
「祝杯をあげよう」

これは完璧なる嫌味、かつギャグである。そんな軽口を叩けるのも、子供たちが無償の愛を持つゆえんだ。

ある不登校の生徒に、持論を話したことがある。

「俺は言ってるんだよ」
「人は勉強ができないと困るけど、無駄話ができないと死ぬって」

「でも僕、無駄話ができない・・・」

不登校になる生徒は、不思議に皆、大人びている。子供っぽくない。

「それなら、野球選手とかサッカー選手が海外に行った時、」
「新しいチームメイトと仲良くなる方法がある」

「なにかって言うと」
「本当の話だがな、、、」

「下ネタを言うんだ」

『○×△』
『うっひゃっひゃっひゃっひゃ』

「って、なるわけだ」

「だからお前もさ、」
「下ネタ言えばいいんだよ」

「はぁ???」

「だから、これでお前のすべての悩みが解決するんだって」

残念ながら、この案は完全拒否されてしまった。

しかし、真実を突いているとも言える。

メディア学者のマーシャル・マクルーハンに「」という論がある。

一流の絵描きは、「絵を描くときは影を描け」と言う。図ではなく、その背景が見えなければ一流ではない。そんな話だ。

師匠の橘川幸夫さんや、ジャンカレーのジャンさんの話を聞いた時にも思った。

彼らは自分がスターになることより、他者がスターになるための場をつくった。すると、たくさんの魅力的な人が集まってきた。

うまいものを書いて評価され、有名人になる。それも良い。だが、作品の背景、例えば投稿雑誌やライブハウスなどに目を向けられなければ、地まで捉えられたことにならない。

真面目な話もいい。

下ネタや軽口、悩みを吐露できなければ、人として病んでしまう。ドラッカー学会のとよさんとりゅうさんが教えてくれたのだけれど、昔の日本企業ではそれができた。今はそれができないから、会社は弱くなったし、皆、病んでしまうと。

無償の愛は、「地」にある。

Economistのpodcastを流すと、ある学者が、

「この中間選挙は、民主主義に対する国民投票だ」

economist podcast : end of midterm

と叫んでいた。

自由と平等の思想そのものが間違っているとは思わない。だが、意味のあることばかりを追い求め過ぎている。

ドラッカーが処女作で民主主義を完全否定したり、岩井克人氏が「自由と平等とは、カネを持っていること」と語るのを見ると、今の民主主義は否決されざるを得ないとも思う。

「図」のみを欲しがりすぎた。それでは、人はまとまらない。

すべて意味のあることは、キャンバスの上に表現されるではないか。

意味のない話、場所、、地。無償の愛を担う者がおらねば、「図」は成り立たないのだ。どれだけ優れていても、愛のないものになんの意味があるというのか。

宮沢賢治はこう考えていた。

「今を最大限に活性化して生きなくても、地に静かにもぐっていれば、また再生することが出来る」

「大事なのは、人をもぐらせ、再生させるだけの余力を、土が残していられるかどうか」

『宮沢賢治の夢と修羅』畑山博 (88page)

資本主義は実を追い求めすぎ、地を耕すことを忘れてしまった。

・・・・・・

「ならば、はて、僕になにができるか、」

と考えた。そして、

「にほんしっぱい学会」

というものを作ろうと思った。

いや、先輩の石山輝久さんのFBで、キャンプファイヤーを見ていたら、

「俺もキャンプファイヤーができる男になりたい」

と、沸々と思った。

四柱推命で私はひのと、ロウソクの炎の性質である。残念ながら太陽にはなれないらしいが、ロウソクは自らを見つめる光でもある。お日さまにはなれないが、キャンプファイヤーにはなれそうだ。

橘川さんは雑誌、
ジャンさんはライブハウスをつくった。
うちの番長はBBQを開いてくれる。

地の作り方はそれぞれだ。

僕は学会を作ろうか。。。

自身が輝くのではなく、人が輝くのでなければ一流の書き手になれない。

そう思った。

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起業家研究所・学習塾omiiko 代表 松井勇人(まつい はやと)

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