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大杉弘子書界

現代アート書家、大杉弘子書界へ。

母と大杉さんの妹が友人で、お話を伺うことが出来た。

『天才』

嵯峨天皇、空海と共に三筆と呼ばれる橘逸勢はやなりを描いた書。
逸勢はやなりは、最澄や空海と共に唐に渡った人物でもある。

「先生の書は感じたまま見ていただければいいんです」

解説の青木さんから言葉をいただいた。

「僕は論文を書くのですが、友人に絵本を描く方がいます」
「論文というより絵本に近い気がします」
「解釈することを許してくれるって」

会話も弾む。

「こちらは先生の書ではありませんが、跳ねや払いが正しい形をしています」
「理論の書と言えるかもしれません」

「なにか論文っぽいですね」
「僕が書くものはこちらかも」
「論文は反感を買いやすいんです」
「絵本や芸術のように、優しい作品が羨ましい」

「ハハ」

浜名湖

書の下に家康公御遺訓が掲げられていた。

『人の一生は重荷を負て遠き道を行くがごとし、急ぐべからず』

個展の全体像を示すアート。
ラフスケッチのようにコンテで描かれている。

「先生の書は、コンテで描かれることも多いんです」

易経の最後の卦は、未完成を表す火水未済。未完成の美だろうか。

厭離穢土欣求浄土

家康公の旗印、厭離穢土おんりえど欣求浄土ごんぐじょうど

家康公が浜松を居城とした理由が、この言葉にある。

0歳、今川家のいいなりであった松平家に生まれる。
3歳、実母と生き別れに。

6歳、織田が総攻撃をかける。父弘忠は今川に助けを求め、人質として竹千代を差し出すこととなる。

護送役だった忠臣の裏切りにあう。わずか100貫文(約100万円)で、織田側に売り払われた。(『松平記』より)

間もなく父弘忠が死亡。
祖父と同様、家臣による暗殺である。

18歳、桶狭間の戦い。圧倒的な軍事力を誇っていた今川が信長に敗北。
家康は菩提寺の大樹寺に戻り、自害しようとした。

住職の登誉とうよ上人から問い詰められる。

登誉「あなたは何のために天下を獲るおつもりか?」
家康「敵を殺すためです」
登誉「だめだ」

登誉「なんのために天下を獲るおつもりか?」
家康「子孫を繁栄させ、父母の名を残すためです」
登誉「強奪した天下で生活させるなど、子孫に呪いをかけるも同等」

登誉「だめだ」
登誉「公は終生、万民の父母となり、天下万民の苦しみを解かねばならない」

このとき生涯、旗印として刻む言葉を得る。

厭離穢土おんりえど欣求浄土ごんぐじょうど

苦悩の多い穢れたこの世をいとい離れようと願い、心からよろこび平和な極楽浄土をこいねがう。

19歳、弱小大名の志であった。

大樹寺

当時二大巨頭、織田信長と武田信玄を平定する最適地があった。
それが浜松である。

家康公が浜松を居城とした理由がこれである。

大杉弘子の書には、厭離穢土おんりえど欣求浄土ごんぐじょうどの文字を象った作品が多くある。極めて哲学的なアート。

彼女もまた覇道でなく、王道を願う方なのだろう。

逸勢はやなりに関する信じられない話もたくさん聞かせていただいた。まだ言わないように口止めされている。

大杉弘子書界は葛城北の丸にて。
2023年8月28日〜9月3日(日曜日)

ぜひご訪問を。

お読みくださいまして、誠にありがとうございます!
めっちゃ嬉しいです😃

起業家研究所・学習塾omiiko 代表 松井勇人(まつい はやと)

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あなたの墓標には何を刻みたいですか。
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