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衝動を失ったら、すべてを失う 画家 橋爪純

1. 雰囲気を絵に描けるか


「雰囲気を絵に描けるか」

絵画には、そんな命題がある。

20世紀までの長期にわたり、優れた絵は「目に写る通りに描かれた絵」だった。

カメラの発明が状況を一変させた。写実画で名を残した19世紀のポール・トラロージュは、写真を目にしてこう言ったそうだ。

「今日限りに絵画は死んだ」

だが絵画は死なず、写実でなく心象を写すようになっていった。

無いものを描く。そんなことが可能なのか。

「霊が宿る絵を描く画家がいる」

ある日、友人からそんな噂を聞いた。

橋爪純。

動いていると思った。彼の絵を見た時に。
引き込まれるというか、絵の中に踏み込んで行ける気がした。

「夢を見ている」
「かつてここにいたことがある」

そんなふうに思った。

宗教画ではない。彼の絵には見えない何かが住んでいる。

2. 衝動がある


静岡カントリーホテルで、彼の展覧会が開かれた。海が近く、風車が美しく見えるホテル。

「お久しぶりです」

いつものように、連絡もせず訪問した。

「やぁ、松井さん、久しぶりです」

屈託なく迎えてくれる。橋爪さんは皆と談笑していたから、私は彼と距離をとって絵を見ていた。

しばらくすると、声をかけてくれる。

「いつ以来でしたっけ?」

「大須賀の『ちっちゃな文化展』でお会いしましたよ」

ちっちゃな文化展は、名前こそ「ちっちゃな」だけれど、古い城下町の通りすべてを文化展に変えて気鋭のアーティストが集まる。

制作の過程を晒しながら、子供たちと絵を描いていた。

ある子が高価な絵の具で遊びだし、橋爪さんの作品にしぶきが飛びそうになった。私はヒヤヒヤしたものだが、彼は意に介さない。

「描いてみる?」

橋爪さんが誘う。

「え〜! でも怒られるから」

絵の具で悪戯をして、お母さんに怒られたことがあるらしい。

「色々怒っちゃいます」
「でも、◯◯ちゃん、本当は絵が好きなんです」

「親御さんは大変ですね。僕もよく怒っちゃうんです」

「ねぇ、お母さんもいいって言ってるよ」
「描いてみる?」

二人の子供は頬を紅くし、白い紙に手を伸ばした。

「創作意欲って、いいですね」
「松井さんもそうですよね」

「ええ、本当に」

「僕も昔から変わりません」
「衝動があるんです。この子たちとまったく同じ」

描きたい。だから描く。

3. どんどん極端になっていく


「あの授業、面白かったですね」
「素敵だと思いました」
「自然な感じで」

「昔は写実的なものを描かれていたんですね」

上の絵も橋爪さんの作品。
2015年くらいまでは下のような油彩も描かれている。

「だいぶ違いますね」

「どんどん極端になっていくんです」
「描きたい方、描きたい方へと」

「橋爪さんくらいになると、それでもいいんですね」
「若いうちから極端だと困りそうですけど」

「いえいえ、最近の若い天才たちは、最初っから極端なんです」
「今は美術学校でも、デッサンなどは教えないようになっているみたいです」

「なんだか怖い気もしますよ」
「基本がなってないと、そのうち行き詰まりそうです」

「本当に描きたいと、その辺は自己流でなんとかしちゃえます」

「む〜」
「そもそも基本以外に指導することなんて、あるのかなぁとも思うんです」
「才能を指導することなんてできないって」

「それが、とにかく書かせてお前はこの方向がいいなとか、そんなふうに言うんですって」

「なるほど」
「なんだか面白いです」

彼が教えてくれた。
衝動なのだそうだ。なによりも大切にすべきは。

衝動を失ったら、すべてを失う。

4. 器用な天才・岩崎夏海と、不器用な天才・橋爪純


橋爪さんは美術大学を出ていない。美大受験のための描き方をしなかった。

私がお世話になっている作家、岩崎夏海先生は東京芸大を卒業した。2010年に172万部売れ社会現象になった『もしドラ』の作者。

学習塾を経営している私に、岩崎先生が東京芸大への入り方を教えてくれたことがある。

「求めているものがあるんですよ、大学側が」
「それを見抜かないとダメなんです」
「極端に言えば、遠近法を描かなきゃいけないところで、いくら芸術性の高い日本画を描いても通らないような」

「東大に簡単に入ったりする世の秀才のほとんどは、そのロジックを見抜いている」
「僕は数ヶ月ずっと、東京芸大のロジックを見抜くことに費やしたんです」
「ゲームが上手いんですよ」

「たいていの人は、学科を総花的にマスターしようとして失敗するんです」
「もちろん自主学習ならそれでいいんですが、」
「受験ではそれをしちゃダメです」
「求めているものを見抜いて、描く」

岩崎先生の話を聞いてから、高校受験も大学受験も格段に合格点をとりやすくなった。

橋爪さんも私も苦労を重ねているが、ゲームが下手なのだろう。
二人とも要勉強である。

5. 失敗が味になる


「うちの生徒で、絵ばっかり描いている生徒がいるんです」
「宿題もやらず、学校にも行かず」

「ハハ、すごいですね」

「良く叱っちゃうんです」
「それじゃ飯を食えるようにならないぞって」
「変なことを聞きますが、橋爪さんは怒られなかったんですか?」

「いやいやいや」
「思うんです。飯ってなんとか食えるもんだって」

「もちろん売れなかった頃もあります。けど、なんとか食えてましたから」

私も起業して好き勝手をしているけれど痛感する。金持ちにはなれないが、食いっぱぐれることもまたないものだと。レールから外れても、なんとかなる。

「最初は東京のデザイン事務所で、医学の解剖図を描いていました」
「夜はずっと自分の絵を描いて」

「稼ぎ方って決められたものがあるわけじゃないから」
「いろいろな飯の食い方をすればいいと思うんです」
「自分で試行錯誤をして」

「でも、衝動を失くしたら終わりです」
「逆に言えば、それさえ無くさなければいい」
「飯の方は食えるわけですよ」

「どうやって衝動を無くさずにいられるか、、、」
「飯より、そっちの心配をした方がいいかもしれないですね」

飯を軸にすると、本当に大切なものをかき消されてしまう。


6. コネクティング・ザ・ドット


「絵が上手くなるためには、絵だけを描いていてもだめなんです」
「こうしていろいろと話したり」
「良いものを読んだり」
「もちろん良い絵を見たりもします」

「分かる気がします」
「変な話ですけど、英検でも準一級までは試験勉強で取れるんです」
「でもプロの入り口、一級になると試験勉強以外もしないと無理で、、、」
「好きな論文を読んだり、ニュースを見たり、英語圏の友達をつくったり」

「一直線じゃプロになれない」

「ええ」

計画だけではプロにはなれない。無駄だと思ったことも、いつか奇跡の一手になる。羽生善治の棋譜のように。

紆余曲折を恐れてしまえば、なにもモノにできない。だから衝動を核にするのだ。

誰もが最短距離で結果を出したいと思う。

S・ジョブスはまったく違う考え方をした。彼の伝説のスピーチに、「コネクティング・ザ・ドット」、点と点をつなげるという話がある。

「情熱を持ってなにかに取り組む。私が大学を中退してカリグラフィー(英字書道)に熱を入れたように」

「養父母が全財産をはたいて入れてくれた大学を中退したことを、これまで最高の決断だと思っている」

「未来を見てしまうと、そんな情熱も馬鹿げたものに思える」

「10年経って過去を振り返った時、繋がりがはっきりと分かった。意味のないカリグラフィーが、コンピュータを芸術的なものにしてくれた」

「無機質なドット文字でなく、フォントを組み込んだから」

「コンピューターと芸術の融合など今では当たり前だけれど、あの無駄な情熱がなければそれもない。今もコンピューターは無機質なままだろう」

「もう一度言わせてもらおう」

「未来は情熱を無駄に見せる」

「過去を振り返り、ドットをつなげればいい」

情熱がつながらない時、人は未来を見ようとしている。
未来に自分の人生はない。そうジョブスは言う。


7. 空白を描く


「この前、書道の雑誌を見たんです」

『間と余白は違う』
『書では、間が充実している必要がある』
『余白は捨てられるが、間は捨てられない』

「と、書いてありました」

「ええ」

「言い方が悪いんですが、橋爪さんの絵って幽霊が出てきそうな気がするんです」

「ハハ」

「それって日本画とか書道の影響も受けているんじゃないかと思ったんです」
「淡さが魅力的で、余白が充実している」

そう伝えると、スマホで風神雷神の絵を探し見せてくれた。

「有名な絵ですけど、構図が大胆」
「真ん中が空白なんです」

「言われてみると」

「これって書き手として凄まじく怖いんです」
「一番描かなければならない部分に何も描かない」

そこに吸い込まれる魅力が生まれている。

「私のこの絵も、構図が奇妙なんですよ」
「木の下の余白が異常に多くて」
「普通なら木をもっと下に描くはずなんです」

「見ていて不思議な感じがしますね」

「画家って、描きたくなるんですよ」
「描き込みたくなる」
「描けば描くほど伝わる。そう思ってしまうから」

「でもそれは単なる絵なんです」

「なるほど幽玄にはならない」

描くと伝わるけれど、描かないことで浮かび上がるものがある。
文章でも同じだろう。詩や短歌、俳句のように。

「教育の本質は教えないことにある」

敬愛する井坂康志先生が書かれていた。
静岡学園サッカー部、井田勝通監督にもそう教えていただいた。

魂が浮かび上がる間。
間を魔に変える者がいる。


8. わざと失敗しやすい紙を選ぶ


「東京でデザインをしていた時には、マックで描いていたんです」
「でも今は紙に描いています」

「コンピューターって、失敗しても簡単に直せるじゃないですか」
「それが危険だなって思って」

「直せない方がいいんですか?」

「間違えて紫を置いてしまって、その上にピンクを重ねるといい味になる」
「そんな経験を積めなくなるんです」

「ドラッカーは、予期せぬ成功という言葉を使います」
「予期せぬ成功を利用することが、何よりイノベーションを産むと」

「なるほど」
「あの絵の鳥も、本当は数センチ右にずらしたいんです」

「紙だと不可能ですね」

「実は消す技法もあるんですが、あえてしないんです」
「失敗を実感できなくなるのが危険だと思いまして」

「失敗をするために、わざと紙で書いているんですか」

「そうなんです」
「コンピューターって、成功まで一直線で進めるじゃないですか」

「失敗を消せますからね」

「自分だけの表現や味は、一直線だと出せないと思うんです」
「私は誰とも違う、自分だけのものを描きたい」

「竹内栖鳳せいほうやピカソにはなれないかもしれない」
「でも自分のものを描きたい」

自身になるためにあえて失敗をする。

失敗を消さない。

魔が間になり、絵に魂が宿る。


画家 橋爪 純

1979年静岡県掛川市生まれ。独学で絵画を学んだのち、2004年より画家として活動開始。これまで個人や企業からの依頼を受け、多くの作品をおさめている。

主な履歴

2004年 東京海上日動より依頼 「日比谷風景」制作
2006年 「お茶の水風景」2点  明治大学買い上げ
2009年 青鳥山妙昌寺より依頼 カンボジア学校へ「富士と桜」寄贈
2013年 八千代銀行より依頼「大正池」制作
2015年 新井画廊(銀座)にて個展(以降毎年)
2017年 セレクト展 渋谷画廊(銀座)へ出品
2019年 掛川市立大東図書館の松本亀次郎、周恩来ろう人形展示の背景画制作
2018年 セブンイレブン発売年賀状、喪中はがきの絵柄制作担当(以降毎年)

現 在    掛川市他での個展を毎年開催


インタビュー 松井勇人

静岡県袋井市生まれ。京都の立命館で7年学ぶ。ひきこもり6年、復活し7年。
起業家研究所omiiko / 学習塾omiiko 代表

【著書】
『14歳のキミに贈る起業家という激烈バカの生き方』(ごま書房新社)
『逆転人生 〜人生を変える5つの鍵〜』(共著)(Rashisa出版)
『人は幽霊を信じられるか、信じられないかで決まる』(日本橋出版)

『14歳の・・・』で、ドラッカー学会公認研究会、澁澤ドラッカー研究会2019年最高賞、渋ドラ賞2019受賞

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