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最後のバッテラ


今からおよそ十四年前。就職した当時、僕の所属しているフロアは認知症を患った方ばかりだった。今は分けられていないが、当時はフロアごとにお年寄りを自立度が高い方、重い方、認知症の方と分けていたようだった。

そんな中、一人だけ認知症を患っていない、百歳のおばあさんがいた。
日々繰り広げられる職員とお年寄りとのパレードの中、ある意味一人だけ異彩を放っていた存在だった。
系列施設から入居されたおばあさんは、以前からの知り合いの職員さんや入居者さんも多く、たくさんの情報をくれたり、介護のやり方も教えてくれた。
実習生や小学生の慰問などがあると、率先して話し相手になってくださり、耳が遠いにも関わらず、誰の話も熱心に聞いていた。とても聡明で大好きな方だった。

ただ一つ難点として、僕のことをずっと女の子だと思っていた。
何度男だと説明してもわかってもらえず、
「休みは彼氏と難波デートか??」
「あんた貧乳やな~」
「嫁にはいかんのか!?はよ行き!」
と常に気をつかってくれていた。もうここまでくると男と証明できる方法は一つ…それはやめておいた方がいいとして諦めていた。

そんなおばあさんも徐々に身体が弱っていった。なんとかトイレには通えていたが、もうほとんどの時間を横になって過ごすことに。自分の死期も悟っているようで、
「いよいよやな~はよけえへんかな迎え!」
と本気か冗談かわからないその呟きに、反応できずにいた。

そしていよいよかという時。居室からの久しぶりのナースコールに驚き駆けつけると、おばあさんはおもむろに口をひらいた。

「姉ちゃん…バッテラ買うてきて…」

バッテラ…てなんや???
聞き返すも反応はなく、その日の出勤している相方もなにかわからないらしく、仕方なくバッテラという言葉を頼りにスーパーへ。
どこにあるか、なにかもわからず店内をウロウロしていると、バッテラと書かれた商品を発見。それは鯖の押し寿司だった。
お寿司か…おばあさんがもう亡くなることは素人同然の僕でもわかっていた。それと同時に今のおばあさんはお寿司が食べれるかどうかわからないということも。戸惑い悩んだが、ダメ元で購入し、おばあさんのところへ戻った。

「姉ちゃんようわかったな、バッテラ…あんたも食べ」

そう言うとおばあさんは、震える手でバッテラを掴み、一口二口でバッテラを口に放り込んだ。
固唾を飲んで見守る僕たちを尻目に、二つ目を食べるおばあさん。

「姉ちゃんあんたもはよ食べ!…おおきにな!」

初めて食べたバッテラは、お酢が効いていて、涙が出るほど美味しかった。

それからしばらくして、嘘のように体調が良い日が続いた後、おばあさんは亡くなられた。
たくさんの方が手を合わせにこられたその光景を見て、何となく自分はこういった光景を今後幾度もなく経験するのだと思った。

亡くなる数日前、おばあさんは僕を呼び、

「姉ちゃん…これ持っていき…」

その手にはどこから出したのか、五千円札が握られていた。何度突き返しても、普段よりか力が強いんじゃないかと思うくらい手に握り込めてくるおばあさん。自分がもうこの世から居なくなることをわかっているのだ。
悔やまれるのは、そのおばあさんから貰った五千円札を見えないところにそっと返したことだ。お金が欲しかったわけではなく、おばあさんの最期の想いを、施設職員である立場から受け取れないと拒否した自分にたいして、あれは受け取ることこそおばあさんのためだったのではないかと、未だに思い出す。
どういう想いでおばあさんは僕にお金を渡したんだろうか。孫のような感覚だったのか。いつも頼りなさげになよなよしていた僕をみかねてだったのか。それはもうわからない。



特養は時にいい介護の仇として捉えられることがある。
時代は小規模で、住み慣れた家で最後を迎えることが最良であるとされる。
確かに劣悪な施設は存在する。
施設の限界も重々承知しているつもりだ。
ただ、特養に務める自分が特養を否定してしまうと、そこで生活せざるをえないおじいさんおばあさんのことも否定することになってしまう。

おばあさんは最期に好きなバッテラを食べることができた。
もっともっとこういうことが当たり前になり、それこそ普段から好きな物が食べれる環境が整っていれば、業界内外の見方も変わるのではないか。


介護は中身だ。そう誇れるような介護を目指そう。
誰からも頼られる姉ちゃんになります😊

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