こだわりにこだわり、こだわることにこだわらない




ご飯を上手く食べれないおじいさん。
ボロボロとこぼしてしまい、食事が終わる頃にはおじいさんが食べたのかエプロンが食べたのかわからない。
こうやって食べてみてはと促したり、介助しようとすると怒ってしまうため悩んでいた。
それでもおじいさんは気にせず、自分で食べれることを守るように、必死に食事を口に運んでいた。
もちろんこぼすことは悪いことではないが、半分以上こぼしてしまうため、十分に食事がとれず、さらにまわりからは汚いおじいさんと認識されだしていた。

どうにかして上手く食べてもらえないかと、みんなで色々考えてみる。
まず小さく丸めたおにぎりを出してみた。
すると手でしっかりとおにぎりを持ち、キレイに食べてくれた。
歓喜する職員たち。だが、ここであることに気づく。おかずに手を出さないのだ。
いつもはそこからスプーンでおかずをこぼしながらも食べるが、まったく手をつけなくなってしまった。
これでは本末転倒だ。キレイに食べるということにこだわりすぎてしまったのだろうかと、焦りが生じた。
おじいさんはやっぱりこぼすことを気にしていたのだろうか。

ここで思い切って固定観念を壊してみる。
刻み食に強めのとろみあんをかけ、それをおにぎりと同様に小さくまとめてみた。おかずおにぎりだ。

緊張の一瞬…おじいさんはおかずおにぎりを手で掴み、見事に食べてくれたのだ。

おー!やったぜ!と喜ぶとおじいさんは怒っていた。
おじいさんにとっては、当たり前だったが、僕らが特別視しすぎていたのかもしれない。

僕らの仕事はその方が今まで築きあげてきたこだわりにこだわって大切にすることだ。
だが、そのこだわりにこだわりすぎず、その時の最適解を常に探そう。


大きな口を開けて、小さなおかずおにぎりキレイにを食べるおじいさんはどこか満足気だった。

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