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わからないその先

わからないその先

大阪にも緊急事態宣言が出されるようだ。新型コロナウイルスによる世界への影響はとどまるところを知らない。なにしろこれまで経験したことがないのだから当たり前だが。各国に対応の差はあれど、多くの国が対応に躍起になっている。その裏ではオリンピック開催について、ワクチンの作用副作用、変異種の登場、など新たな不安となる要素だらけで、人々からは余裕がなくなっていくさまがうかがえる。

パウライコフが『人間と時間』という書物の中で、「不安とは未来の空白化」だと述べた。これから先、なにが起こるかわからない、未来にあるイメージを持ちえないということが、不安の根源だという。

数多くの大震災を経験してきた日本は、今ときが経つにつれて再び大地震が起こる可能性が高くなってきていて、実際にそれが起こるかどうか、いつ起こるかは「わからない」。そしてもしそうなった時、自分や家族がどうなるかは「わからない」。未来への確信が持てない。

新型コロナウイルス騒動でも、多くの方がこの先どうなるかわからないという、未来への確信がない状態に不安を抱いている。ある人は自粛強制だ、マスク大量購入だと過剰に反応したり、ある人は昔はもっと酷かった、感染症だらけだったけど豊かだったと過去を憂いだり、またある人はもう終わりだ、人類は何をやってもダメだと逃避したり…

これは、認知症の方々となにも変わらないのではないだろうか。記憶をなくしていく。時間の連続性が絶たれ、自分という存在が不確かなものになっていく。その先はまさに空白の世界が立ちはだかる。その世界への取り繕い方は、僕らとなにも変わらない。

このコロナ騒動がいつ収束するかはわからないが、その時には世界中の人々が同じように経験した「わからない」状態を常に感じている、認知症の人たちに気づけるようになっていてほしい。「わからない」のも悪いことばかりではないと。世界総認知症状態となった今、「わからない」ことへの寛容さを、もう一度取り戻すことのできるチャンスが与えられたのだ。

娘は小学校の勉強についていけるか不安だったようだ。ところが最近は、勉強のことについてよく話す。

「あ~勉強難しいわぁ~!わからんことたくさんやねん!」

「でもわからんこともわかるようになるとおもしろいし、わからんでもみんなで教えあってできるから、楽しいねん!」


未来がどうなるかわからない…というのは不安を感じさせるだけではない。これから待つ「わからない」未来に、子どもたちのようにいつでも希望を持つことはできるのだ。


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