マレーシア人が考える日本人が英語が話せない理由 〜初めて日本人に話しかけた時の話〜
こんにちは!マレーシア人のカカです!
世界中の諸国ではさまざまな文化と習慣があります。
文化と習慣は本来昔から受け継いだものですが、そうでない場合もあります。
例えばイスラム教の国へ行けば、ヒジャブ(頭にスカーフをつけるみたいなもの)を被る女性が多く見られます。これは宗教の影響を受けた習慣と言えます。
同じく、西洋へ行けば、食事後のげっぷは大変失礼だと思われます。これは倫理を受けた習慣です。
しかし、以上の例以外に、別のものから生まれた文化と習慣もあります。
それは「社会」というものから生まれた文化と習慣です。
「社会」とは何でしょうか。
簡単に言えば、
「世間で生きている人間は集団として、一致した規則で共同生活を送ること」
と定義できます。
ここで「一致した規則で共同生活を送ること」を強調したいと思います。つまり、普段より異なる習慣をやったら、仲間はずれくらいは普通ということです。
僕は日本で留学した時も、いくつかの不思議な体験をしたことがあります。
まだ一週間も経たないとき、僕はある日、奨学金を提供した会社へ行こうと思っていました。その会社は六本木にあり、早稲田大学の留学生の寮よりあまり遠くなかったです。
しかし、当時まだ日本生活に慣れていなかった僕は、当然道に迷ってしまいました。すると、近くの作業員のおじいさんに行き方を尋ねようとしました。そのおじいさんは電気柱を修理しているところでした。
「あのう。。。すみません、私は六本木の駅まで行きたいんですが、道を教えていただけませんか」
と僕が聞きました。その後、作業員のおじいさんが僕を見て、こう答えました。
「ノーイングリッシュ」。
僕は聞き間違えたかと思って、また同じ質問をしました。するとおじいさんの回答はまた「ノーイングリッシュ」でした。
「あれ?今のは日本語だぞ」
と僕は心の中で思いました。
二度もあきらめずに尋ねて「ノーイングリッシュ」の返事だけもらった僕はとても不思議だと思いました。
仕事を邪魔してしまったか、よほど外国人に苦手だからか、不思議だと思ったまま別の日本人に聞こうと決断しました。
数日後、日本人の友達に聞くと、理由はお年寄り世代は日本語しかしゃべれないから、外国人が日本語でしゃべってくれても、急に恥ずかしがりやの態度になってしまうからだそうでした。だから外国人に苦手なわけです。
しかし、こういう意見もありました。
「日本は島国で昔外国人が多くなかったです。開国は既に150年経ってもまだ心の中で「日本は日本人のためのみあります」
と考えられている人が多いのです。おまけに
「第二次世界大戦後、西洋に負けて、当時の世代の人々はまだ生きているため、外国人の相手は少しいやな感じをするのも無理もない」
という意見もありました。
僕はそれを聞いて納得できると思いました。「ノーイングリッシュ」の習慣を体験したのは僕一人だけではなかったからです。
日本の社会は一見進歩しつつあるのですが、実際まだ伝統や昔の因縁に縛られていると思います。これは僕の国、マレーシアも同じです。
また、別の経験ですが、これは今の日本の世代の話についての可笑しい話です。大学で国際サークルがありました。僕もそれに参加させていただきました。サークルの中、さまざまな国の人がいました。
当然日本語の練習をしたり、日本人の友達を作ったりするためのサークルでしたが、日本人からは英語の練習をしたりする、逆効果もありました。
英語でしゃべりたい日本人の学生は当時多くいました。僕にとって悪くない交換条件でした。日本語を教えてくれる代わりに、僕はみずから英語会話のパートナーになってあげてもいいと思いました。つまりウィンウィンの関係とも言えます。
大学で英語を使いこなしたい日本人の学生は実は驚くほど大勢いました。
しゃべる能力はまだまだだとはいえ、文法や優れた語彙力を持っている学生が普通に見える景色でした。彼らはそのバランスをつけるために留学生に接触して英語を教えてもらいたかったわけです。僕にとってとても勇敢で有意義な努力だと思いました。
しかし、いくら外国人と英会話してもしゃべる能力はなかなか身に着けられませんでした。外国人はともかく、日本人同士なら練習の相手にしてくれなさそうでした。
僕自身も見たことがあります。ある日本人が英語でしゃべったとたん、彼の周りの人が笑って「何こいつ?外国人かぶれか?」と聞こえました。
すると彼も恥ずかしくなって笑ってしまいました。彼はそれ以来あまり英語を使わなくなりました。練習したかったのになぜ人の努力に笑ってしまうのか、僕にはさっぱりわかりませんでした。
友人に聞くと、それは普通の景色だそうでした。日本人はまだ英語がしゃべれない理由も多分それだからだそうでした。英語試験で満点を取れても全然しゃべれない人は普通のことです。友人も実際そういう場面に立ち向かったことがあるからです。
これは人々の態度から生まれた習慣と言います。最初は一人の人間の態度だと思います。それが広がって、たくさんの人々がやってしまうようになります。さらにやられればやられるほど、やがて社会のルールになってしまいます。
哀れな事実ですが、真実の話です。
これこそが僕にとってちゃんちゃら可笑しい話です。文化と習慣は時代とともに変わりつつあるものですから、いつか以上で述べた日本のちゃんちゃら可笑しい習慣も消え去ればいいですね。
次回は僕と日本語と、そして。。。仲間
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