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悩ましきもの、それは手土産

夫の父方の実家では、毎夏八月十六日に親族が本家に集まって、皆で墓参りをするのが習わしである。
この本家には立派な仏間があり、集まった親族は本家の玄関をくぐると真っ先にこの仏間に赴き、仏前にお供えを置いて手を合わせてから、親族に挨拶する。
多くの親族が手に手に供え物を持ってやってくるので、仏間はさながらお中元の見本置き場みたいな感じになる。私はいつも仏様に手を合わせつつ、皆さん何を持ってきているのかな、と薄目を開けてチラチラ見ていた。
私が結婚した当時は、大勢の親戚が集まりとても賑やかな催しだったが、最近は自身または親や伴侶の高齢化などで動きづらくなり、小さな規模になってしまっている。

この田舎は食べ物の美味しいところだ。米作地帯だし、果物も野菜もよく取れる。ニ、三十分行けば美味しい和牛の産地があるし、お茶の栽培が盛んな地域も近い。つまりもらわなくても、美味しいものが既に周りにいっぱいある。
こういうところに都会から持参するお供えを選ぶのは、本当に苦労する。
大抵は菓子や佃煮、海苔などの保存のきくものにするのだが、どうもこの田舎では『関東のものは関西に比べて美味しくない』という妙な常識がまかり通っていて、あまりウケはよろしくないようである。
私見を述べれば、『美味しくない』というよりも多分『好みに合わない』ということかと思う。が、田舎の人は往々にして頑なだ。

少し気の利いたお菓子なんかを持参しても、
「こんな小さいもんが、えらい値段するねんなあ」
と感心はされるものの、値段に見合うお味だという反応は誰からもない。
その値段を出してでも食べたい人が大勢いるのが都会で、そんな値段を出すくらいならもっと美味しいものがあるから食べんでええわ、というのが田舎のようだ。
まあ総人口を考えると、どうしてもそうなってしまうのだろう。

今回は私は仕事の都合で行くことが出来ず、夫が一人で行くことになっている。
手土産に悩んだが、結局ある高級菓子店のゼリーの詰め合わせにした。
本家は三人いた娘達が全員嫁いで家を出ているから、普段は夫婦二人きりである。沢山入ったお菓子を持って行ってもきっと往生するだろう、と思い、高級なものが少量入っている箱にしたのである。
夫は全く我関せずで、興味の欠片もないから、これでいいと言うだろう。
お盆が近づくと、丁度良い大きさのものはあっという間に売り切れてしまうし、熨斗かけを頼むと物凄く待たされたりするので、もう買ってしまった。
あとは持参するのみ、である。

それにしても、毎度毎度こんなに菓子折りやらなんやら売れるって、田舎のお盆の経済効果はバカに出来ないと思う。これでも昨今は昔に比べてそんなに派手にやらないということなので、昔ってどんなんやってん、とちょっと呆れてしまう。

こちらの地元には、味にうるさい関西の人のお眼鏡にかないそうな、美味しそうな『名物』があまりない。あっても安すぎて、こういうお供え物には向かないか、或いは高すぎて、手土産にそこまでしなくても良い、という感じである。
毎年、『なんにしようか』と頭を悩ませることになる。来年も再来年も、私は悩むことになるんだろう。この時期が近づくと、毎年憂鬱である。
実家に帰省するなら、
「無事に来てくれたらそれがお土産よ」
という両親の言葉に、そのままゴメンと手を合わせることも可能だが、夫の本家となるとそうもいかない。本家の主は夫の従兄に当たり、二人共気持ちの良い大変いいご夫婦だが、それとこれとは別である。仏様にお供えがない、という訳にはいかない。
あれこれと頭を悩ませる割には、いつもどうもしっくりこない、大したことのないものを持参する羽目になる。申しわけないと思いつつ、迫る期限までに決定的な良い手土産を思いつかないのだ。
『この人はいつもこれね』という、定番に出来る何か良いものないかなあ、と常に思っている。

こっちに居るのは多分、あと五年くらい。
その間に良いものが見つけられると良いんだけど。