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好きなこと

私はクラリネットを吹くのが好きである。多分、三度のメシより好きである。そもそもメシにあまり執着がないので、そうなるのかも知れない。
文字を読むのも好きである。「文字」である。「文章」ではない。薬の効能(副作用はちょっと怖い)、あんまんの美味しい温め方、パンの製造工場の所在地、賞味期限は何月に何度で設定されているか、洗剤はどんな成分で出来ているのか、などなど。どれもこれも興味は尽きない。読んでいて飽きない。

クラリネットを吹くのがなぜ好きなのだろう。正確に言うと「クラリネットを吹いている私」をなぜ私は好きなのだろう。
楽器が吹ける人間なんて、そうそうそこらじゅうに居てないで。しかもあんな銀色のじゃじゃこしいキーがいっぱい付いた、難しそうな楽器やで。それが吹ける私って凄くない?カッコいいぜ。
お恥ずかしい話、そうそっくり返っている自分が居ることは認めざるを得ない。
ラプソディーインブルーの冒頭のソロを吹くと、「おりゃっ、やってやったぜ」という爽快感で満たされる。シューマンの「幻想小曲集」を吹くと綺麗なフレーズを吹きながら自分の音に酔う。ナルシストの極みである。上手い人から見れば、「この程度で何をぬかすか」とふき出す感じだろうし、音楽をやらない人から見ればただのアホである。でも私はこういう時がめちゃくちゃ楽しい。
要するに、「私がクラリネットを好きなのは、自分に酔えるから、堂々と『私これが好き!』と言えるから」だと思う。

文字を読むのが好きなのは、「新しい知識が増えることにワクワクするから」に他ならない。
菓子パンの製造工場がどこにあるかとか、洗剤の成分なんて知っても面白いことはない、という人が殆どだろう。でも私はそう言う事を知ると、たまらなく面白いと思ってしまう。知らなかったことが知れると物凄く嬉しい。
何か得たい知識があってそれに向かって勉強するというよりは、突然飛び込んでくる些細な「知識」を得た時の方が面白い。無数に並んでいる自分の無知という白いマスに、一つ「済」印を押したような気持ちになる。「また一つ賢くなった」と嬉しくなる。「雑学好き」という事だろう。
子供のようである。

日頃の何気ない生活のワンシーンをちょっと切り取って、しみじみ眺めるのも好きだ。
例えば雑草を引いて、爪の間に泥が入ってしまう。ああこれからご飯の支度をしないといけないのに、どうやって落とそうか、と考える。そうだ、爪ブラシがあった、あれを使おう、と思い立って、洗面所に向かう。洗い終えて、綺麗になった爪をみてああ良かった、と嬉しくなる。
雑草引きから爪洗いの完了まで、実に平凡で下らない事実の羅列である。でもこういう「事実の流れ」を取り上げて見てみるのは、私にとってとても楽しくて面白い。
仕事へ行く道中も、洗濯物を取り入れる作業も、私にとっては映画を観ているような気がするのである。

文章を読んで、情景や登場人物の心情を想像するのも好きだ。noteには沢山の文章が溢れている。仕事の話、小さな子供と親のやりとり、旅行記、海外での生活リポート・・・。自分の体験を重ねることもあれば、全く自分には未知の世界を想像して、ふーん、へえー、すごーい、とワクワクすることもある。闘病記などは読んでいて辛いが、全く会ったこともない人を一生懸命応援する気持ちになってしまう。
「入る」というのだろうか、没頭してしまうのである。没頭する間、パートをしながら下手なクラリネットを楽しむ、おっちょこちょいの在間ミツルはどこかにいってしまう。
映画館で次々と映画を観ているような気分になる。

美味しいお菓子を食べるのも大好きだし、他愛ないおしゃべりをするのも好きだし、季節の花を見るのも好きであるが、こうやって楽しむ時間は私が「私」で居られる、最高に贅沢な大切にしたい時間である。