程よい距離感で
食後、夫とくつろぐ時間には二人して職場での出来事や、読んだ本の話などの他愛のない話をして過ごすことが多い。
しかしいつもいつも、二人が同じ話題に興味が向くわけではない。一つのコタツに二人が同時に足を突っ込みながら、バラバラな事をして過ごしていることも結構ある。
温かい空間を共有しながら、てんで好きなことをして過ごす静かな時間は、私達夫婦にとって退屈なようで案外大切なひと時になっていると感じている。
基本的に、私は夫のすることが癇に障ることはない。何をしているか興味がないともいう。夫もそのようで、「なにやってんの?」などと訊かれたことは一度もない。
しかし私の方には一つだけ、どうしても我慢ならないことがある。
夫はこの時間によくYouTubeで講演会や座談会、落語などを聴くのであるが、この時イヤホンを全くしようとしないのである。必然的に音はダダ洩れであるから、私はうるさくてしょうがない。
私にとって興味のある話題でも、その時にそのタイミングで聴きたいと思っているとは限らない。静かに本を読みたいと思っている時など、最悪である。
イヤホンをするよう何度か頼んでは見たが、夫は何のかんのと理由をつけて全く応ずる風を見せない。不毛な攻防にも、とことんくだらない屁理屈につきあうのにも疲れたので、こういう時は争わないことに決めた。
夫がこういう行動を取り始めたら、二階の自室に静かに退散することにしている。音が聴こえないところに自分が移動するのが、一番有効な騒音対策であるからだ。
他人である夫は変えられないので、私が変わるのだ。この方が早い。相手が静かにするべきだ、などというこだわりさえ捨てれば、事態を自分にとってより良い方向に持って行くのは簡単である。
私が二階へと姿を消した後、夫がどうしているのかは分からない。興味も湧かない。私は私で自分一人の時間を、誰にも邪魔されず存分に楽しんでいるのである。
家事を片付け、後は入浴して就寝するだけの、気楽で贅沢で、幸せな時間を不機嫌になって自らぶち壊したくない。自分の為である。
二階に行く時、私はなるべくそうっと上がるようにしている。聴くことを楽しんでいる夫の邪魔をしたくないのと、あからさまに『追い出された』感を出して夫を不快な気分にしたくないからである。あくまでも私が自分の意思で二階に上がったという風にしておきたい。
だから聴くことに夢中になっていると、夫は私が綺麗にフェイドアウトしたことに随分長い間、気付かないらしい。ふとした瞬間にハッとして、「あれ?あいつはどこ行った?」となるようだ。
その瞬間、夫はどんな顔をしているのだろう。どうでも良いと言いながら、ちょっと見てみたい気もしている。
お一人様時間を満喫した後、風呂に入る為に私が階下に降りてくると、夫がコタツと一体化して一人ぽつねんと居る。満腹して、時には酒も少々入りホッとするのか、居眠りしていることも多い。夫は猫背なのでその背中はいつもくるんと丸く、クチャクチャに乱れたごま塩頭はいつの間にか薄くなり、塩の方が勝っている。こういう夫の姿を目にすると、心なしか少しうら寂しい感じを覚える。
心行くまで一人時間を楽しんで心は満たされている筈なのに、こういう夫の姿を見ると、私の心に何故か小さな罪悪感が芽生える。意地悪をしたつもりはないし、夫も別に何とも思っていないのだろうけど、「放っておいてゴメンね」と言いたいような気分になってしまう。
まるでお母さんかお姉ちゃんのような感じだ。母性本能をくすぐられているのだろうか。だとしたら夫の思う壺かも知れない。
今でも頑なにイヤホンをしてくれないような失礼な夫だけれど、きっとこの人も私の色々なことを、『なんちゅう奴や』と呆れつつ見守っていてくれているのだろう。結局私達夫婦はお互い様なのだ。
これから先も、つかず離れずの程よい距離感で仲良くやって行こう。
でもやっぱりイヤホンはして欲しい。